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コンクールの是非を巡って・その1

ワンおばちゃんの素朴な疑問:コンクールは本当に有益か?

この、絶対と言っていいほど結論の出ない、そしてなにも今チャイコフスキー国際コンクールの前に別に議論しなくてもとも言えるこの課題。まずは以前イーゴル・カーメンツ(Igor Kamenz, 1968- ロシア)との会話を思い出してみました。

イーゴル・カーメンツはオリヴィエ・カザルと共に、1990年代の国際コンクールの世界を二分したとも言える有名人で、お互いその入賞歴は優に50を超えていたライバル同士であった。

一見、引き算をすれば引くものがないと言うような演奏のカザルは、コンクールの年齢制限を超えた頃からコンサートの数が激減し現在は音楽学校にて音楽院に生徒を送り込む事に精を出している。一方のイーゴル・カーメンツは、引き算を適用すれば、場合によってはほとんど残るものがないのではないかと思われるぐらい否定的な評価をされる事も珍しくないピアニストであったが、足し算をすれば、器に入れ切れないほどの豊作物の様に大きな、富士山の絵が最初から額縁から抜けだした様な感があり、印象的な演奏家であった。

その彼はかつてこう私に言ったのだ。「僕にとって国際コンクールは戦う場所ではない。緊張もしないし、苦しくもない。とっても嬉しくて楽しいところなんだ。なぜって、一回でも多く人前で弾くって言う事が音楽家にとっての命なんだ。でも残念ながら今の世の中、コンサートで弾きたいと言ったところで、なかなかそうはいかない。ところがコンクールにさえ出れば、人集め、チケット販売、ホールの予約やチラシの制作とか公演そのものに関することなど一切考えずに、ただひたすら演奏にだけ集中すればいいんだから、こんな素晴らしい事は無いじゃないか。」

「だから僕は勝ち負けを考えた事は無い。はねられたなら、審査員が僕とは感覚が違うって言うだけさ。そもそも落とされたと思ってがっくりするんだったら、コンクールに出ちゃいけない。落ちたら『アーカンベー』と言って次のコンクールに出ればいい。人前で弾くって言う事は、聴衆に判断されるんだから、君の音楽は嫌だと言う人もいるし、中には君の演奏は素晴らしいと思ってくれる人もいる。コンクールでは時にはラッキーで優勝や入賞したりして、収入にもありつける。僕なんか、それで家族の生活を賄っていた時期もあった。何しろコンサートがなかったから入賞者コンサートもありがたかった。」

「おそらく演奏家のタイプによって、コンクールは向き不向きがあるんだ。評価されなければがっくりくるようならば、別の方法を考えなきゃいけない。コンクールは、一番簡単に人前で弾けるチャンスなんだ。それ以上でもそれ以下でもない。僕は若い人に言うんだよ。コンクールは宝くじを買うようなもの。まず当たらないと言ったところで買わなきゃ当たらないからね。人には自由があって、聴いてくれる人々が僕の演奏を好きか嫌いかは僕のコントロール出来る事じゃないんだ。みんなに好かれる演奏家なんてなんだか面白くないよ。聴衆の自由を尊重し、自分の自由を謳歌する。それがコンクールで学んだことかな」

セクエラ・コスタが語った審査員としての視点

さて、本年2月に他界したリストの孫弟子で、何度もショパン、チャイコフスキー、リーズやロン・ティボーの審査員を経験したセクエラ・コスタは1990年のチャイコフスキーコンクールのイーゴルカーメンツを聞いて“perhaps you might not always agree with what he does, but there  is substance in this man. These days there are so many fine pianists everywhere, but rarely will you find such substance and great music. After all music isn’t about eloquence you know”と褒め称えた。

わたしが「しかしマエストロ、貴方が審査員長をなさっておられた時に1位を彼には与えておられませんね」というと、「こんなことを私が言うのはどうかとは思うが、残念ながらそれがコンクールの限界だと思う。公平になろうと努力すると、反対に自分の感覚を殺すことになり、自分が審査員長をしていても結果に何だか違和感を持つとでも言うのだろうか、納得がいかない後味の悪さを覚える。罪悪感とは言わないが、コンクールよりももっと何かないのかな、若い才能を支援する方法は、と考えてしまう。この人はきっと素晴らしい音楽家になるだろうと確信に近いものを感じた人になにも起こらなかったり、ああ、まあ、無難なところでこれが1位、なんて言うのがあったり、コンクールの次に来るものが出てこなければいけないんだね」

結論が出ないというぐるぐる回りと言えども、同じ回り方はない・・・。次回はベンジャミン・フリスのコンクール考です。