アレクセイ・リュビモフ、先日80歳になり、昨日は仲間たちとのバースデーコンサート&パーティー。
アレクセイ・リュビモフは、来年4月に招聘。4/17に五反田文化センターでコンサートを。
そんなリュビモフのことを思い出して
最近あるホールに売り込みに行って、MCSのアーティストリストや企画を見せたら「集客出来るアーティストが一人もいない。皆の知っているプログラムも一つもなく兎に角知っているアーティストもいない。そもそもこんなおじさんやお爺ちゃん達が未だ弾けるのか。そうかと思ったら学生とか………….」
話が変わるが、かつてSOPRAと言う団体があった。ロシアの音楽家を紹介する団体でカザルスホールで長い間公演を続けていた。お寺や小さな場所でのサロンコンサートも含めると年間50公演近くの自主公演をしていた事になる。若手のロシア人音楽家の為のプラットフォームと言う路線で1993年から2005年迄存在した団体だ。ナウム・シュタルクマン、オレグ・ボシュニアコヴィッチ、マリア・ガンバリアン等50人近いロシアがステージにたった。
ワンおばちゃんが英国に移り、時代の推移と共に英国でMCSヤングアーティスツと言う団体になり今日まで自主企画を続けている。何故自主企画を続けるのか?ビジネスを考えればこれは全く理に適わない事で、会館の買取とかオーケストラに売り込むとか、経済的リスクを回避するのが一番賢い道であると言うのが世の中の趨勢である。
しかしワンおばちゃんは考える。音楽会やフェスティバルの根幹は自主企画に基づく自主公演にある。MCSを離れて行く音楽家もあればずっと残っている人もいるが。
ある時リュビモフに聞いてみた。彼がMCSに残っていると言うか所属している理由は正にその自主公演にあり企画の面白さでと言っている。こちらからの提案に彼方からも提案があったりその逆もあり、MCSの企画は演奏家と主催者の共同作業である場合が殆どである。
それはSOPRA時代から、ロンドンを中心としたヨーロッパでの活動を経て再び日本をベースにしている今日に至るまで一環として変わらないスタンスである。残念ながら4、50名しか入らなかった公演もあったし、今後もあるかもしれないが、謂わばMCSという“顔”が見える自主公演を続けるといことが我が国の様な音楽環境では特に重要かつ大切であると考えている。普通の音楽団体がやらないことをする団体位が一つぐらい存在しなければ困るし面白くない。そう思って今後も頑張ります。件のホールの主にとっては来月10年ぶりのメルタネンの演奏なぞきっと聴くに値しないのであろう。ググニンも最初は4、50しか入らない公演が幾つもあった。それでもめげずに続けていると自ずと道は開けてるとは言えなくとも繋がって行く。ヨーロッパの音楽界の根底にあるのは、この日本では馬鹿みたいに見える、息の長さであると思う。
リュビモフは言う「私も昔は大手の事務所に所属していた。若い時には、やはり一度は名の知れた事務所に所属することによってキャリアが積める。しかし50歳になると、自分の人生の折り返し 地点は過ぎているのだから、自分がやりたいこと、やっておかなければいけないことを考える可きだと思う。そうすると大手に入ればなかなか難しい。そこで“自由”を手に入れる為に、MCSの様なところに収まったわけだが、やりたいことがほぼ同じとか方向性が一緒とか言うことは言葉では簡単だがなかなか難しい。「本当にやりたい事。やる可き事」これを一緒にやれる事務所は重要だ。
ましては自主公演をやってくれると言う事はアーティスト側から見れば、本当にありがたいものだ。「ウストヴォルスカヤをやらせてくれ」と頼むより「是非ウストヴォルスカヤを弾いて下さい」と言われた方がどれだけ嬉しいか。だからある程度の年齢に達して演奏活動を続けているアーティストにとっては自主公演を基軸にしている所に流れて行くのは当然の帰結ということではないか。私の教え子のズーエフなんか大手に所属していてロンドンでコンチェルトに定期的に招かれていたが、早々に事務所を引き上げてしまい、好きなことしかしない。若いのに年寄りの真似をされてもと心配をするが、大手の事務所の求めるものは必ずしもアーティストをハッピーにしてくれるとは限らない」リュビモフの意見はありがたいのだが こちら側も相当な覚悟がいる。先ず経済的な危険に常に晒される覚悟が必要だ。