このXで何度か取り上げているベイルート高等音楽院のピアノ科、アマール・ハシーショ教授はレバノンに残った最後の教授陣の一人だった。
再三のドイツ大使館の帰国勧告に対し「学生がいる限り…」と頑張っていたが、そこら中にロケット弾が落ちてきて音楽院や自宅が危なくなってので、出国。ドイツに戻った彼は学生のことが気になるも連絡が取れず心を痛めている。
ボンに生まれたドイツ国籍のレバノン人で、ソビエト解体時にモスクワ音楽院に学んでいたハシーショ教授、「これは2006年どころではない。これをイスラエル人たちが本当に望んでいるとは思えない。普通の市井の人々の命を奪ってどうするんだ。ピアノを弾いていると罪悪すら感じる。これでいいのか、私は他に何かやるべきことがあるのではないかと言う気がするけど、思いつかない。今は自分の心を落ち着けるためにピアノを弾いているんだ、そして又罪悪感。その繰り返しだ。
ナウム・シュタルクマンが今もし生きていたらなんと言うかと考える」
昨日からイスラエル兵8名が亡くなったと言う発表を聞き、政治も経済も知らない市井の人であるワンおばちゃんはふと思った。
レバノンやガザの市井の人の失われた命の数は?ハシーショ教授、ギリギリまでベイルートの高等音楽院で学生の為に命辛々最後迄頑張って本当にご苦労様でした!
時間がなく、音楽院に辞表を提出したのはレバノン脱出後という慌ただしい出国だったそうだ。