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オッペンスと口笛

今から一月弱前にワンおばちゃんを絶叫させたオッペンスのジェフスキーの名作「不屈の民」の「口笛騒動」、多くの方々にご協力頂き人探しをするも、「不屈」の中に出てくる3箇所の口笛をこなしながら譜めくりをしてくれる人が見つからず、奔走しておりました。頼みにしていた最後の方からも数日前に「残念ながら…..」のメッセージが来て“oh !万事休す”という状況でで暫くぼーっと何の考えも出てこない状態でした。
毎晩オッペンス女史と電話で色々面白い話を聞けて本一冊とはいかなくても何章かは書けるぐらいの情報量に何時の間にかなってしまい、これは神様の悪戯なのではないかとさえ思えて来ました。これだけは皆様と共有しておきたいと思う様な面白い話もあるのですが、なかなかスッキリ纏めると言うのが苦手なワンおばちゃんとしては何回かに分けて書かせていただきます。
明日から連載で始めます。
数日おきに、五反田文化センターの不屈のためのチケットは何枚出ているかと言うご報告をオッペンスにお伝えしているのですが、毎回「上向きだは。少しづつだだけど増えている。
”See I told you ! It’s getting better ! Please don’t give up! We will make it in the end ! “
彼女の飽くまでも前向きな「不屈の精神」に励まされている招聘元なんて申し訳ない。恥ずかしいと思っている。
このような事は普通は演奏家には言わないものである。しかし、相手はありとあらゆる経験を積んできたアメリカどころか世界に冠たる現代音楽の神様だ。最も大切なプラクティカルなチケットの事を真っ先に聞いてきた。
これは何処かで経験したぞー。何を言っているんでしょう。リュビモフと全く一緒ではないか….
聞いてみるとオッペンスもリュビモフよろしく自分たちで現代音楽の演奏の場を自ら開催し、企画制作も手掛け続けた長い経験の持ち主だった。更に言わせて貰えばMCSはシャンパン グラス片手だが彼らはテキーラ、バーボン、移民の国だけあってありとあらゆるアルコールの並べたそうだ。「そういう中から本当の音楽ファンが出てくるのよ。私たちは演奏を通して、きっかけを作っているの」これではMCSとそっくりではないか。リュビモフも言っていた。僕たちの学生時だは金がなかったけど飲み物等皆んなで持ち寄って、最後はサロンだった」
MCSの他のスタッフに「チケットの枚数なんて報告する必要ないんじゃないですか?又々余計な事を」と言われてしまった。
オッペンスに単刀直入に聞いてみました「ホールの入場者数って気になりますか?やっぱり満杯の聴衆に見守られて演奏したいですか?」”Not really! It’s only about music and when there is music you really don’t care about these things” でも興行収入が無いと次がないからと続けた。「継続こそ一番大切な事。だってもし満員になれば次も呼んでもらえるでしょ」
おっ、アースラ・オッペンス女史、次もあるんですか?
「他にもね聞いてもらいたい曲があるんですよ!でもね、この歳になると何時が最後か判らないでしょ。だから一回一回を“これが最後”だと思ってそれに向かって猛突進するの」
電話を切る時は何時も
“We will be united and make it ! We will not be defeated” といって「えい、えい、おー」と言う調子で終わりにしています。

昨日続きをXに掲載する予定だったのだが、流石のワンおばちゃんもヘコ垂れててしまった。 何と言っても、これで何人目かというぐらいの又、芳しくない連絡”。頑張ろうと思っていたのですが、やっぱり、高音のところが口笛がどうしてもうまく吹けません。譜めくりは勉強いたしますが…..口笛は……….“ああ又ダメだったか。 引き続き当たってくださることにはなっているのだが、時は流れる。 数名の方々から電話も掛かって来て”えーっ、例の問題まだ解決してないの? たかが口笛じゃないの?。そんなの誰だって“ 何を言ってんの!じゃあ、あなたやってよと叫びたいのを抑える。 電話の向こうでオッペンスは”ちょっとやってみるね………”空気の音がすーっすーっと聞こえてくる “私頑張って練習するは。3箇所だから…….。初演の時は私が自分でやったのよ。でもね後になってやっぱりダメだはという気になったの。初めての録音の時、ジェフスキーが“口笛は僕が吹くよ”と言いながら譜めくりをしてくれた。 オッペンス女史としては、ジェフスキーから直接的に申し込まれたわけでは無いけれども、会話をしているうちになんとなくそういうふうになったのだけど、本当はジェフスキーは自分の口笛を気にいっていなかったのだと言うことが空気を伝わって感じられたので、それじゃお願いしますと言うことになったらしい。“ピッチが正確じゃなきゃダメなんだ”という事らしいが、それだけじゃなくって、上手くてもダメなのだと言う。”所謂労働者階級や移民、と言うかピノチェット政権に反旗を翻してアメリカで声を挙げている人々の鼻歌混じりの口笛なのだから労働者の鼻歌という趣が……“ 要は*自然態の鼻歌風口笛で正確なピッチ“ということになるのだけれどこれがまあ大変なんですよ………… オッペンスと話しを聞いていると、何となく初演より初レコーディングの方が演奏者と作曲家にとっては大舞台というかかむしろ初録音そのものが初演の趣を体現している様に感じ取られる描写なのである。レコーディングは正にフレデリク・ジェフスキー& アースラ・オッペンスの共演の体をなしている。その上で彼が譜めくりしながら口笛を吹き彼女が演奏を続けながら同じ方向に共に歩いて行くという感覚だったのであろう。 不屈の民に於いて、口笛は、ただの”口笛“ではない。 にも関わらず、楽譜上の3箇所の口笛のところに、何も”optional“と書き込まれている 如何にも1970年代のアメリカの世相を反映している様に感じるのはワンおばちゃんだけであろうか 兎にも角にも”口笛“を求めての旅もそろそろ終わりに近づいている。 終わりに近づくというからには目処が?………….. それは又次に……..