Blog

エマニュイル・イワノフと不屈の民その1

どういう訳か、幸か不幸か、イワノフとワンおばちゃんは「不屈の民」と言う曲でまるで運命の様に繋がってしまった。 初めて招聘を考えた時、お互いにとてもタイトなスケジュールの中を忙しく飛び回っていたので何月何日の何時何分に電話で話そうと決めていた。その時間は予想もしない状況で迎えることになり福知山からの帰り東京に向かうために台風が来るからと言うギリギリで間に合ったかなと言う状況で新幹線に乗った。ところが新幹線は京都から大雨の中、名古屋に向かう途中大津を通過中に停止し、米原駅まで数時間掛けてやっと辿り着いた。京都を出てから6時間経って、やっと名古屋駅までたどり着いた。車中泊になるところであったが聞かされたのは朝一番の新幹線には我々は乗せてもらえないと言う事だった。

時計を見たら、「うっそー」イワノフとの約束の時間。大雨の土砂降りの音、新幹線の車内放送、みんながガヤガヤガヤガヤ言っている最中、電話を掛ける。これだけ混然とした周りの音…..でも、彼は至って平然。「色々とプログラムを考えたのですが……」とイワノフ「それはよかった。私も色々と考えてみて、これは絶対あなたに聞いていただきたいと思うものがあったのです」それでは一緒に同時に言ってみましょうと言うことになり「せいの……」ではないが、「people united………」 2人はお互いに驚きのあまり声が出なくなってしまって、しばし沈黙に支配されることになるも、外は大雨の上に雷。 まるでこれは、映画の中の1場面のように、衝撃的に「不屈の民…..」が稲妻の中をくぐり抜けて落ちてきたのだ。 ワンおばちゃんは「もうこれしかありませんね……..」「何かそちらは想像しいようだから、続きは又に……..」「そうしましょう……….we have to be united to let this happen」とざーざー雨の中電話を切った。 外の音、車中の放送や人々の声、そしてイワノフとの電話での話し声。 これが1つのユニゾンのように聞こえて正に室内楽の様な感に感無量になって包み込まれた気持ちになった。 これがイワノフとワンおばちゃんの“people united will never be defeated “の旅路の始まりであった。

MCSと言う小さな団体は元々サロン・コンサートがベースの若手演奏家支援団体がその土台である。来年5月に20周年を迎えるも常に不屈の精神で今日まで真に小さな活動を続けてきた。 イワノフがこの「不屈の民」を演奏する場とチャンスを作るのにどれだけの苦労と困難を乗り越えて、舞台の上に立っているかをワンおばちゃんは一番よく知っている。 大変な根気と努力で、ウィグモア・ホールを説得し、「不屈の民」でデビューをしたイワノフ。残念ながらカーネギーのデビューではプログラムには載せられなかった。 彼は心に誓った「何時か、必ずここで……..」 イワノフ君、その為にも、勇気を持って、しなやかに一旦retreat 。 不屈の道は長いのです。 自国のブルガリアにおいてすら取り上げられる事にに多くの反対が出るのを乗り越えて演奏に漕ぎつけたイワノフは「日本はいいですね……..」 オッペンスとの会話でも感じた事は…….この曲の持つ「personalな側面を」を演奏するものが取り出して聴く人々に分かち合うことにより味わえ一つの喜びは今回の様なう空間が一番相応しいと言えるにではないか。空間とは真にその「時」その「場」の一期一会のspace だとジェフスキーのこの曲は教えてくれている。 今回、ブルガリア大使のご理解とご支援で会場になる事になった歴史的な建造物である昭和の歴史を担ってきたこの家の、嘗ての主であった石坂泰三もきっとあの世で微笑んでくれるのではないか……… 嘗て我々が感受してた(もしかするとそう思い込んでいただけかもしれないが)平和が再び訪れる様we will be united not to be defeated この演奏会が平和について考えるひとときになります様、心より願っています ワンおばちゃん