ゲイリー・グラフマンをご存知ですか。ホロヴィッツの弟子。ルドルフ・ゼルキンの弟子。教師としてラン・ランとユジャ・ワンを教えたアメリカのベテラン中のベテラン。今92歳、再来月93歳。カーティス音楽院で育ち、カーティス音楽院で育てた“生粋のカーティスっ子”(そんな表現ないやろ)、それがゲイリー・グラフマン先生。カーティスの顔とでも言うべき存在でしたが、このたびカーティス音楽院の教師の職を辞したことがわかりました。地元紙のニュース↓
ゲイリー・グラフマンがカーティス音楽院に入学したのは7歳の時で、それから10年間カーティスで学んだ。18歳でカーティス音楽院のあるフィラデルフィアのオーケストラつまりフィラデルフィア管弦楽団にデビュー。その後長年ソロ活動を続けていたが、1979年に右手の負傷によって活動を休止。
翌年1980年にカーティス音楽院の教授に就任、1995年から2006年まで学長も務めた。学長を辞した後もカーティスで教え続けていた。グラフマンはニューヨークに住んでおり、(恐らく高齢のため)フィラデルフィアまで行くことができなくなった。
ちなみにニューヨークからフィラデルフィアまでおよそ100マイル(160キロ弱)なんですよ。東京と日光、あるいは軽井沢ぐらい離れてるんですよ。車で片道2時間弱だそうで、そらなかなかしんどいすよね。地図↓
またグラフマンはリモートレッスンにももう関心が持てない。さらに今年度からカーティス音楽院では自宅レッスンを禁止した(虐待防止措置)ため、それも出来ない。
つまり、本人の意思で去ると決めたというよりはどちらかというと去らざるを得なかったということかなと。なかなか難しい問題ですが、後進に道を譲るというのも大事なことかと(日本の政治家も後進に道をおや誰か来たようだ・・・)。
それにしてもカーティス音楽院との関係が始まってからすでに80年以上が経っていたちゅうことなんで、中抜けがあったにしてもすごい、すごすぎる。結婚して50年で金婚式よりさらに上を行く。ってこの例えが正しいかどうかは自信ないけど、とりあえず結婚して80年は「樫婚式(かしこんしき)」と言い、85年になると「ワイン婚式」っていうらしいですよ。ほんまか。
「ワイン婚式」ってさすがに名前に困ってる感もあるけど大丈夫ですか(そしてグラフマンと関係なさすぎる)。