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オルガ・パシュチェンコがやってくる 前編

オルガ・パシュチェンコを招きたい”と思ったのは何と2018年だった。

リュビモフのサントリー・ホールでのリサイタルを開催した時である。

足掛け7年! リュビモフに“パシュチェンコ”と言ったら「ダメ」「何故?」「ダメだと言ったらダメ」

理由はわからなかった………. 「貴方は彼女を評価していないのですか?」「いや、彼女こそ私の後継者だと思っている」「それでは何故」

「パシュチェンコこそ僕の一番弟子」とでも言いたいリュビモフが続ける「僕も昔は大手音楽事務所に所属していた。お蔭で家族を養う事が出来た。人生において一度はそう言うところに在籍した経験を持つことは重要。

自分の場合はあるところで、このままでは本当にやりたい事、やる可き事が出来ない。事務所の利益と自分の利益が同じでないのは当たり前。そこで自由を選んだ。それまでは僕が是非やりたい、凄く興味がある様なことでも、出演料が少なかったり、会場が小さかったり、ちゃんとしたホールじゃない等々で僕の耳にすら届かなくなっていた。

然し、もし大手にいた経験がなければ先ずどうやって家族を養う事が出来たのか?そしてあくせく仕事探しをしなければいけない。反対に大手がどう言うものかと言う経験があってこそ、その良さや失うものを知り、今日がある。残念ながら事務所に入れるのは若いうち。パシュチェンコには先ず安定した土台を作らせたい。いま彼女は著名な事務所に入れた。マネージャーは業界でも有名人だ。そう言うところだと小さい事はダメと言うことになるだろうと思う。大きなホールで高い出演料でと言う話になるから話がまとまらないと思う。彼女は未だ若い。先ず大手の経験を充分に積み重ねさせてやりたい」

つづく