業界人突撃インタビュー第3弾 株式会社テンポプリモ 代表取締役 中村聡武氏【前半】

この投稿は中村聡武氏インタビューの前半です。インタビュー後半はこちらからお読み下さい予告編はこちらからお読み下さい

中村氏の音楽的バックグラウンド

山根:さて、中村さんとは私が前職の武蔵野市民文化会館にいた頃からのお付き合いです。当時は事業団が中村さんのお持ちいただく企画を買う、という立場でしたが、今は同業者として、お互いに切磋琢磨をという立ち位置になっております。

何を隠そう、何も隠さない。私が前職を辞するにあたり、最初に相談したのが中村さんでした。あれは新宿の天ぷらやさんでのことでした。その節は大変ありがとうございました。今も大変お世話になっております。ありがとうございます。

中村:昨日のことのように覚えています。驚きましたが、今こうして新たな道を歩んでおられて、私も嬉しいです!

山根:そのときよりいろいろとアドバイスを頂戴しており、感謝しております。さてこんな機会ですので、いま一度、中村さんのバックグラウンドについてお教えいただきたく思います。子どもの頃からクラシック音楽に触れて来られたのでしょうか?

中村:実家が音楽教室を営んでいました。父が作曲とギター、母がヴァイオリンの指導者だったので、幼少の頃からギター、ヴァイオリンを両親から教わり、またピアノや理論も教室の先生から教わりました。

中学から高校生にかけての反抗期のころは親から敷かれたレールに乗るのが嫌になって、アメリカのポップスやハードロックに傾倒しました。クラシックを一切聴かない時期もありましたが、何だかんだピアノは続けていましたね。

山根:音楽は身近にあったと。

中村:ただ音大に行けるほどのレベルではなかったので一般の大学に入学しました。そこのオーケストラのサークルが三年に一度海外演奏旅行を行うなど、活発だったこともあり、高校時代は休止していたヴァイオリンで入団したんです。やってみるとアンサンブルが楽しくてすっかりハマり、毎日練習漬けの日々を送りました。ウィーンのムジークフェラインやニューヨークのカーネギーホールでの演奏も体験しました。後に運営の幹部にもなったことで、いよいよ授業まったくそっちのけ。卒業前の試験は答案に謝罪文を書いて何とか単位をもらいました。

山根:大学あるあるみたいなお話ですね。

就職、そして3年後に中東シリアへ

中村:大学卒業後は日本音楽著作権協会に入社しました。父のような作曲家の権利を守るという思いで入社したんです。しかし学生時代以来、海外に出るという夢を持っていたのですが、その夢は捨てきれませんでした。3年がたったある日、電車の吊り広告で見た《青年海外協力隊》の募集に衝動的に応募し、運よく合格しました。一生一度しかない人生ということもあり、会社を辞めて参加することにしました。

山根:吊り広告を見て衝動的に応募、というのがまたすごい。行動力が半端ないです。

中村:アラビア語を勉強しながらシリアの首都ダマスカスで2年間、現地の子供たちにヴァイオリンを指導するなどエキサイティングな生活を送りました。いざ帰国して再就職となった時に拾ってくれたのがとある老舗の音楽事務所で、ここで7年半ほどマネジメントの経験を積みました。

山根:このシリアでのご経験というのは原体験とでもいうべき強烈なものだったのではないか、と、この話をお聞きするたび、背筋が延びる気がいたします。シリアはいま非常に危険な国の一つとなっているようですが当時は危険ではなかったのでしょうか?

中村:私が滞在した20年前は平和そのもので、犯罪発生率も日本より低いと言われていました。シリア人はとても親日的で人懐っこく、初めて会う人から「日本人は友人だ、俺んちはそこだからお茶でも飲んでって!」と家に招かれ、そのまま晩御飯までご馳走になることが一回や二回ではなくありました。

シリアで過ごした2年間はエキサイティングだった

またある時、ヴァイオリンを担いで道を歩いていると、初老の紳士から「君はヴァイオリニストか?私は国立オーケストラの指揮者だ。練習の見学にぜひ来てくれ」と言われたことがあります。指定の日にリハーサル会場に行くと、椅子が用意されていて「さあ、一緒に弾いて」と・・・。練習が終わって帰ろうとすると、「明日の本番にも出てね」と言われてそのまま出演したこともありました。

山根:うおー、それはすごい。めちゃめちゃディープな交流をされていますね。

中村:戦争や難民の報道で危険なイメージがついてしまいましたが、本来はのどかな国でなんですよ。素朴で素晴らしい人たちと交流を重ね、本当に幸せな思いをさせてもらいました。

テンポプリモ立ち上げについて

山根:なるほど。いやほんとうに普通の人には到底できないすばらしく強烈な体験です。それではどうしてテンポプリモを興されたのでしょう。

中村:不況のあおりを受けて帰国後に勤めていた事務所が廃業してしまったんですね。仕方がないので実家に戻って音楽教室を継ぐことになりかけたのですが、その事務所で担当していたアーティストから助けて欲しい、というSOSを受け、マネジメントを頼まれました。当初は個人的に手伝っていましたが、海外アーティストの規模の大きなものの依頼もあったことから、株式会社テンポプリモを設立しました。

山根:お願いされて会社を作る、というのはある意味理想的な感じが致します。会社の名前はどのように決められたのでしょうか?

中村:社名は、音楽用語のTempo Primo(最初のテンポに戻る)から、常に会社を立ち上げた時の志を忘れず、初心に帰るという気持ちをこめて命名しました

山根:なるほど、そういう意味が込められているとは知りませんでした。どこもそうですが、社名は本当に面白い。言葉にいろいろな意味、思いが込められています。

ジュリアン・ラクリンと。今年のツアーは無念のキャンセル

中村:会社は今年4月で12年目を迎えました。これまでに、イヴリー・ギトリス、サラ・チャン、ヴァレリー・ポリャンスキー、エストニア国立男声合唱団、ザ・キングズ・シンガーズ、ブリュッセル・フィル、ロシア国立交響楽団など、世界各国のアーティストを招聘しています。また、オーケストラとサーカスのコラボレーションである「シルク・ドゥラ・シンフォニー」や「トリニティ・アイリッシュ・ダンス」など民族舞踊の公演も手掛けています。

コロナで大打撃

山根:いろいろと広く活動されていて、素晴らしいですね。さて、ではこのコロナで食らった打撃についてお話しいただけませんでしょうか。金銭面、精神面などを含めて。

中村:3月のミュンヘン交響楽団、6月のボン・ベートーヴェン交響楽団、トリニティ・アイリッシュ・ダンスなど全国規模の来日ツアーを含め約50公演が全てキャンセルとなりました。

トリニティのメンバーと。この笑顔は必ず戻ってくる。

山根:大きなアンサンブルものが50公演もキャンセルというのは相当な打撃ですね。

中村:各ツアーは早いものですと3、4年前から準備してきましたし、時間をかけただけに思い入れも強く、中止が決まるたびに脱力感が襲ってきます。何よりもアーティストやお客様に申し訳ないという気持ちで一杯です。経済的な面では売上面で2~3億の損失となりました。

山根:2~3億ですか、ため息しか出ませんね。

中村:興行中止となると売り上げが消えるだけではなく、すでに宣伝にかけた費用、例えば印刷費や広告費、またホール代や旅費のキャンセル代が別途発生し、莫大な負債となって経営を苦しめています。

山根:我々みたいにウルトラ小規模でやっている団体とは全く規模が違いますし、お話をお聞きするだけで冷や汗が流れるようです。

今後オーケストラや大きな招聘ものはどうなると思われますか。合唱やオペラの引っ越し公演なんかはしばらく厳しそうかもしれない、と思ったりもしています。ソーシャルディスタンスで空席に、なんていう事が続けば収支は合わせられず、全く目も当てられません。さらには入国に際して厳しい制限が設けられるかもしれず、コンサートが再開されるとしてもしばらくは日本在住のアーティストを中心に、ということにもなるのかもしれないと思っています。

時間はかかるが、必ず元に戻ると思います

中村:正常化に時間はかかると思いますが、必ず元に戻ると思います。数百年かけて育まれ高度に発展したオーケストラやオペラ等の芸術は、時代を超えて普遍的な価値があり、人類にとって掛け替えのない財産です。そうした素晴らしい芸術に触れたい欲望は止まることはないでしょう。

ただ、不況が長引けば招聘できる団体は絞られてくるかもしれません。不況で行政の支援が得られなくなること、お客様の財布の紐が固くなることで、規模の大きな団体は人気がないと呼びづらくなる恐れはあります。

山根: 世界全体での今後の収束状況とも関係があるかもしれません。各国での一刻も早くの収束を心より祈ります。

海外のアーティストや団体とは連絡をとっておられますか。どのような考え、動きをしているか、何か情報をお持ちでしたら。

ウィーンのヤボルカイ兄弟

中村:ヨーロッパの各オーケストラは、ソーシャルディスタンスを確保し管楽器の飛沫対策をしながら無観客で行う取り組みが各地で進んでいるようです。またソリストは、この機会によりたくさん練習してレパートリーを増やしたり、レコーディングを行うなど前向きに過ごしているようです。

山根:いまはまだ表立って具体的に動き始めているところも少ないようですしね・・・。今後この業界はどうなると思われますか。つまり、オンライン化するのでしょうか。

中村:オンラインはこの時期だけで、収束すれば会場にお客さんは戻ってくると思います。なぜなら、オンラインでは十分な利益を確保できず、演奏家やそのスタッフが生活の糧を得られるようなインフラがまだ整っていないためです。市場を形成するまでには至っておらず、コロナ後はまたコンサートを積極的に開催する流れになるでしょう。

また仮にオンラインで音楽が楽しめる環境が今より整備されたとしても、逆にライブの価値は相対的に高くなり、「オンラインもいいけどやはり生の演奏がいいよね」となるでしょう。

ただ、楽しみ方が多様化するのはいいことなので、オンラインが進化し普及することはたいへん喜ばしいことです。会場のキャパシティ以上の観客を呼ぶことができますし、垣根も低くなる。オンラインで何気なく観て気に入ったアーティストを、今度は生で観たい、聴きたいとなれば、今度はコンサート会場にも足を運んでもらえる。そういう意味では、ライブもオンラインも併存する方向に進むのが最も理想的です。

山根:状況に悲観するのではなく、積極的に理解し、そしてそれを将来につなげていく姿勢が大事ということでしょうね。

=後半は以下からお読み下さい=

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