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アーシュラ・オッペンスとフレデリック・ジェフスキ

オッペンスは言う「この曲は運命的なんです。丁度コロナが世界的に席巻して、物理的に個人的に人と会うと言う行為がとても難しくいという状況下で「アンコールというのじゃなくって10分ぐらいの曲でちょっと短いプログラムの時に加えられる曲があれば嬉しい…..」というとメールで送られて来たそうだ。最初曲がとても気に入ったので気にもしなかったが、楽譜の何処をみても曲の題名が書いていない。もしかして後ろとか……。ない…..電話で「こんな良い曲書いてくれたんですもの、やはり皆んなタイトルがある方が喜ぶと思うは。何か付けて…….」ああでもない、こうでもないとなると覚悟していたら、電話の向こう(イタリア)であっさりとFriendshipと一言。「えっFriendship」「そうour Friendship」余りにもあっさりとした簡単な短い会話………..」
語ってくれたオッペンスにワンおばちゃんが“it an epitome of Rzewski and Oppens”と言ってみると長い沈黙が続いた。
二人は「不屈の民変奏曲」が産声を挙げる直前に初めて遭った。ニューヨーク市の主催する芸術振興財団の会合だったそうだ。彼女も彼も既に音楽家として名の知られている存在であった。 
正に不屈で始まりFriendshipで締結した作品群………
なるほど….6月20日の五反田文化センターははプログラムは長くなるけど是非、是非Friendshipを…….
“in the end of the day it’s all about Friendship !”
何しろ21:30完全撤収を実現するのはなかなか大変です……何でそんなホールで?
リュビモフ曰く
「いや、あそこじゃなければいけない。五反田じゃなければ困る。あそこが一番僕に相応しい。そしてそこでオッペンスのコンサートが開かれることはとっても嬉しい。それが解らない人は恐らく私に演奏も理解してくれないであろう。五反田のあのホールはアバンギャルドの精神に満ちている」この4月が最後の日本公演となったリュビモフには知名度のあるホールをと大枚を掛けようと覚悟していたが、リュビモフが首を縦に降らなかった。
オッペンスにもホールの話を何度も確認してみたけれど「ホールの格?何それ?私をいくつと思っているの?そんなもの関係ないわよ!要は音楽よ」…….

オッペンスは言う “you hired me to play Rzewski’s People United ……. ”「とんでもも無い!hiredなんて、そんな言葉….”no I didn’t hire you!We asked you to come to perform ….you are invited …….! “私は雇われているのよ!雇用ですよ……“「いえとんでもない。貴方はアメリカを代表する芸術家です!現代音楽の女神だと私たちは思っているんです」「ただのピアノ弾きです」「芸術家だなんて大それた…..」「私達は雇われていると言うか一ピアノ弾きが、お呼びが掛かって演奏しに行くと言う気持ちじゃないとダメですね。演奏家とか芸術家とか思っていたらダメですね。そう思えば、満席とかガラガラとかそんなこと考えないでしょ。聞きたいと思ってチケットを購入して来場してくれた人たちをhappyにするのが仕事。だから空席を見ても別に主催は大丈夫かなと心配するけど、演奏する私は、音楽が始まったらそんな事……」