コンクールについてあーだこーだ書き始めたが、まさにショパンコンクールが始まろうとした時、日本国内ではまさかと言うか絶対ないと少なくともワンおばちゃんが思い込んでいたことが起きた。
本当はこの余談シリーズの1の後に書くつもりであったが、とうとう我が国は英国に半世紀近く遅れて、アメリカに先鞭をつけ折しもマーガレットサッチャー生誕100年の今年女性総理が誕生することになって、「うっそー….」と拍子抜けしてしまった。世の中もコンクール同様、大方の予想を裏切り結局は一寸先はわからない!
しかし待てよ!これがイワノフや多くの人の言っている「コンクールでは何が起きるかわからない!
イワノフは先に書いたアーシュラ・オッペンスと違い、それなりにコンクールの情報や知識を持っていた。しかし、エンジニアの家庭に生まれたイワノフ(オッペンスの父親もエンジニア)は客観的に情報収集すれども、冷めた距離感が常にあった。
ワンおばちゃんは聞いてみた「何故国際コンクールに?なぜブゾーニに?」イワノフ曰く「僕は普通のピアノを専門的に学ぶ人の道を敢えて歩んできませんでした。ピアニストになりたいと思ったのは随分経ってからでした。子供の頃親が買ってくれたLPを聞いて、それを何度も何度も繰り返し聞いているうちにベートーベンやマーラーの交響曲を他にも聞いてみたい。しかし首都から離れた地方に住んでいて、演奏会にアクセスがなかったと言うこともあり、レコードで聞いたものを再現したいと言う強い気持ちをピアノで成し遂げてみたいと思い、最初はオーケストラスコアを見ながら何度も何度も繰り返しているうちにピアノを専門的に学びたいと思う様になりました。よく指揮者になりたかったのでは?と聞かれますが一言で言えばピアノという一つの楽器では無く、まず最初に音楽という感じでした。
むしろexploring the pianoという感じで、ピアノのありとあらゆる可能性を探ってみたい、知りたい。そう言う気持ちだったので、何処そこの何とか先生に学ばなければ、何ちゃら音楽学校から音楽院にそしてコンクールで結果をと言うほとんどすべての人たちのアドバイスを聞けば聞く程、これは僕のやりたいことじゃない。僕の進みたい道じゃない、と思ってしまいました。コンクールのことを考えると、演奏家に順位をつけて何になるんだ。それを決める人達をそんなに信用していいのか?神でもあるまいし。その時思いました、まだ一人の人間の選定の方が納得いくかもと。多くの人が集まって「1番良い」と称する者を決めるだななんて」ワンおばちゃんは引き続き聞きました「でも、あなたは結局はブゾーニ受けたでしょ?」「それは自分が普通の道とは違って、音楽学校や音楽院と言う通常の道を進まず、外国語を専門に学ぶ教育を選んだからです。将来海外に出て音楽の勉強を続けようと思っていたので、そのためにはまず語学と思いました。ブルガリア人にとってはロシア語は難しくありません。ですから反対に一番苦手な英語とドイツ語を徹底的に勉強しようと思いました。結局五か国後に手をつけましたが、まぁそう簡単にはいきませんでしたね。だけど譜面を読むと同じように直接いろんな国の文献にアクセスできるわけですから、大変有効なことではあります。今自動通訳を利用すればと言われますが、言語にはその国特有の言い回し、リズムや発音があり、音楽と言うのは普遍的だからこそ、その「場所」の生み出すものが重要になる訳です。語学と言うか言葉の力は音楽の土台に絶対必要なのだと不思議なことに、子供の頃から確信していたのです。そのような状況で、そろそろピアノを学びに外に出ようかと思っていた時に、ブゾーニ国際があったので、このコンクールで、自分のやってきたことが正しいのか如何試してみるために参加してみようと考えてみたのです。
自分にとってコンクールは勝つためや人々に聞いてもらうと言うよりも”自分を知る為の物差し”と考えて参加してみました。その頃までには、自分の国でも著名な先生にもつくことができましたが、他の音楽専攻の人と異なる環境にいたのでこう言う事も今ならやってみる価値はあると思ったからです。
コンクールは自分がそこに参加する意義をその人なりに持っていなければ怖いと思いました。何か人の創った舞台で踊らされてるような気がするからです。気をつけていないと、なんだか操り人形に自ら進んでなってしまうのかもしれないと。
コンクールは自分が何を目的でどの方向に向いて進もうとしているかと言う時に初めて有益な“場”だと思っています。参加する“時”が大切ではないでしょうか。コンクールで人生が左右されたりしたら一体誰の人生ですか?と言いたい