多くのピアノ関係者が、固唾を飲んで見守っていたショパン・コンクール。その最中に思い出したのは、エリザベート王妃の2024年のヴァイオリンの優勝者ウドヴィチェンコの事。
そもそも、ウドヴィチェンコがエリザベートを受けると言った時にワンおばちゃんは猛烈に反対した。「もうコンクールは充分やったでしょ。これ以上何を….」「これは僕の夢だったんです。子供の頃から。だから、ずっとフォローして来ました。エリザベート・コンクール
を最後にコンクールから身を引く。と言うか僕の卒業式です」「私にとっては例え貴方が一位になろうと書類選考で落ちようとも、貴方に対する評価は変わりませんよ。貴方は私が見つけた(本当は見つけたと言うよりある巡り合わせと言うかひょんなことから…….)最高のヴァイオリニストです。私の30年間のヴァイオリンの神様だったリアナ・イッサカーゼが亡くなって、その代わりに天がよこしてくれたヴァイオリニストです。コンクールなんて……..「私の音楽家としての将来を思ってくれるのなら応援して欲しい」
「それならdry run を」とホールまで3箇所借りたが結局コンクールの前は静かにしていることになった。
コンクールの最中はきっと迷惑だっただろうけど、ちょこちょこと応援メッセージを送っていたが、ファイナルで、「For me it doesn’t matter what they think. What matters more is what I feel and think. For me you are god given” うるさいおばさんに返事はハートマークとか拳のマークとか迷惑かけていた様な気がしますが、応援していたものの何も優勝とか何位とかではなく演奏家として本人が一番納得できる演奏をしてくれます様にと祈っていた。
色々耳に入ってはきたが、何人の方からウクライナ人だから1位にしてもらえたと言われもしたが、ワンおばちゃんにとってstreamingで聴いたfinalのあの演奏は一期一会で二度と再現できない素晴らしいひとときであった。
コンクールの演奏を聞いていている時、そのコンクールという“場”の醸し出す一種独特の妖気ともいうか魔界ともいうかその空間の中で、これが本当は良い事か如何は判らないけれども、若い人々が、こぞって自分の最前最大限の演奏を目の前にして、それこそ瞬間芸術の宿命とも言える“一期一会”の機会である様に思えて、参加者の品定めをする様に見える、ミスタッチが如何の斯うのという気持ちにはなれない。
ウドヴィチェンコの場合はたまたま運よく1位優勝に輝きましたが、ワンおばちゃんにとっては、大変失敬な話ですが「Whatever the prize they give you, you are my no.1 and that’s more important for me than! と本選の時に書き送ったメッセージ以上の言葉が思い浮かびません。
皆さん、そろそろもう少し自分の“好き嫌い”の感覚を研ぎ澄まして自信を持って「私これがだーい好き」とやってみませんか
人間の感覚って結構 当てになりますよ!
ショパン・コンクールという一つの大きな“夢”の後にあの場で素敵な演奏を聞かせてくれた大勢の若い音楽家に“この一期一会をありがとう”次の夢に向かって歩んでいってください。
そしてディーマ(ウドヴィチェンコの事)の夢の後の第一歩を応援してやってください。
何だか親バカ三輪みたいですが本気でそう思っています。何だかイッサカーゼというよりはハイフェッツの時代にタイムスリップした様な自由な音楽の流れを感じます