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アンドレイ・ググニンとワンおばちゃんのmidnight直前talk 1〜ピアニストの道草〜

ググニンは今台北。という事はtime lagが一緒。いつもはワンおばちゃんは深夜で彼らは食前の一杯という時間帯。練習がちょっと終わり、あともう少し又やろうかな、とかこれから食事のひとときの前。

さてワンおばちゃんはつい言ってしまいました「こないだ送ってもらったブラームスは趣味じゃないなー。its too much songs in the music」「そう言うだろうと思った。初見なんだ」「何でまた初見で…..」「プログラムから一旦離れてみたいから。I like wondering about.
「自由にコンサートプログラムの曲の周りを周りいろんな角度から特定の曲にアプローチをして行くと、その曲の意外な面が見えて来て、曲順を変えてみたり、色々やってみたくなる。そしてやってみると、やっぱりやり過ぎ。ああ最初のプログラムがやはり一番良かったんだ。そう思いまた練習したり演奏会で弾く。又々、同じことを繰り返したくなる衝動に駆られる。でも殆どの場合一番最初のプログラムに戻る。これを繰り返すと今度は確信みたいな自信みたいなものが出て来て、そう、これが今の僕だ。これが自分の弾きたいプログラムなのだ。という気持ちになる。これは練習とかそういうことは違う、別の確信とは違う心地よい自信。そう、本当にやりたいことをやっている自分に遭遇する為の家の中の小旅行」
恐らくヨーロッパのアパートやマンションにある中庭の中をくるくる回るような感じなのかと想像した。

今グリーグからブラームスそして再びリストへ。初めての録音はリストの超絶技巧練習曲だったが、そのプログラムで今年10月ウィーンのコンツェルトハウスでソロデビューする。ググニンにとってリストは人生の節目節目に出て来る作曲家なのだ。今度はどんなリストになるのか。ググニンの道標の様な作曲家リスト………..ズーエフも言っていた。「一旦曲から離れる。忘却というフィルターが必要だ」だがそれとはちょっと違う。

ここのところ「何処そこのコンサートのプログラムを、今練習しているところだ」といいたまに電話越しに聞かせてもらうこともある。しかし「あら、だってその曲プログラムに入っていないじゃない?」ということが多い。「寄り道」が増えたと言うような気がするのだ。

ググニンは言う。「同じプログラムでも、順番を変えてみると、全く別の新たな発見がある様なこともある。別段『発見』を探している訳でもない。でもいろんな角度からアプローチをすることによって、より新鮮になるようなこともあれば、その曲の勝手知ったるところというか、懐かしいと思って弾くことができたりと、新たなる出会いを得て曲が蘇ることがある。コンサートの回数がなかったときには、こんな事は余り意識しませんでした。でも今こういうアプローチがすごく大切なような気がするんです。演奏会をルーティーンにしたくないのです。音楽をルーティーンにしてしまうと、それは本当に死んでる演奏と言う気がするからです。何度も何度も練習し、同じことを繰り返したら良い演奏ができると言う事ではない。常に何処か不完全なfreshな部分を大切にしたい」
言葉では中々わかりにくいのだが、会話の流れで妙に説得力があり、 I can’t agree more となった。

「あるピアニストの道草」とでも言うのだろうか。人は色々な寄り道をするものだ。そう言う中で新たなる発見があり、新しい出会いやアイデアを得て、成長していく。毎日食べるパンだって発酵させるではないか。ましては演奏が長い時間かけて、色々と周り回って、ゆっくり発酵されて膨らみをもたらされて我々の耳を楽しませてくれるのなら、道草大いに結構。ググニンは今日は何を聞かせてくれるのかとミッドナイトコールが楽しみ

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