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バドゥラ=スコダとデームスのこと

フルトヴェングラーと共演するバドゥラ=スコダ

以前ロンドンでバドゥラ=スコダのリサイタルを企画した時、リハーサルの後のお茶の時にバドゥラ=スコダからこう問われた。「マダム、MCSレジェンド・シリーズ(ロンドンで定期的にサロンコンサートを企画していた時に、こういうシリーズがあったのだ)の出演者には条件があるんですか?」

「ええ、一応70歳以上になっていますが」「実は私には昔からの悪友がいまして、今ロンドンに来ていると言ったら、なぜ僕は呼ばれないのかと聞かれて。デームスと言うのですが・・・・。年齢の条件はぴったりですよ!いかがですか」

「本当に仲がおよろしいんですね。そう言うのが本当のお友達なんでしょうね」「いやあ、そのなんと言うか最初はね、友達というのではなくライバル。戦後すぐの時代は、僕たちが多分ウィーンで一番目立った二人だった。コンクールなんかで会うだろう。お互いにすました顔して最初は口をきかなかったんだ。無視していたわけじゃないけどやはり気になる競争相手ってことだね」「それがどうしてデュオを?」

「それがだね、戦後すぐのウィーンの食糧事情はドイツよりもひどかった。ともかく食べるものがない。ところが、あるところにはあったんだなこれが。」「戦後ウィーンにいたニュージーランド大使夫人は大変な文化人で、サロンを開催していた。次から次へと演奏家が招かれ、サロンが開かれて、良い音楽が終わればすぐビュッフェと相成るわけだ。戦後すぐはそのニュージーランド大使館だけが大盤振る舞いで「肉」を出していた。しかもこれが質が高くて美味しいんだね。」

「大使夫人から『デームス氏も受けてくださいました。ぜひあなたもお願いできますか』と演奏の依頼が来た。本当のことをいえば客はみんな僕たちの演奏じゃなくって「お肉」がお目当てさ!ところが彼がベートーベンの後期ソナタに、僕がシューベルトの遺作ときたらあまりにも長かったんでお客はお腹が空いたらしく、お腹の音まで聞こえてきたよ。僕がシューベルトの第一楽章を弾き始めようとしただけで最前列のお客に睨みつけられちゃったね」

「それでもウィーンの中では僕たち二人が一番ポピュラーな若手だったから2回目まではソロで弾かせてもらった。ところがそのあと大使夫人が突然、あなた方はウィーンのトップのお二人!それならソロじゃなくってデュオっていうのは?そうしたらお客様も喜ばれますわ。」

「・・・どうやらみんなが大使夫人に『あの二人が弾き終わるまで待っていたら夜が明けてしまう。お腹がクークー鳴いて仕方がない。』とかなんとか言ったみたいなんだね。そんなわけで、いわば大使夫人のたっての希望で連弾を始めたんだよ。」

「その晩聴衆の一人が、満面の笑みを浮かべて『おお、連弾というのはこんなに素晴らしいものとは知らなかったよ』と言ってくれて喜んでくれたけれど、彼の皿は山盛りの肉料理で一杯だったのを思い出すね。顔は忘れてしまったが声とそのお皿のことは鮮明に覚えてるよ。人間の記憶っていうのは不思議だね。」

「《ウィーンの若手の二人》とか言われていても『そうはいっても僕の方が』と実は思ってたんだが、デームスの方でもそう思っていたらしい。随分とたって、たまたま言い争った時に彼にそういうことを言われた。だから『丁度いい、僕もずうっとそう思ってたんだ』と言ってやったよ。」

「そういうサロンでデームスは『あなた方二人はウィーンの宝ですよ』と言われたとき、『いやあまあ、そうは言っても、なんちゃらかんちゃらコンクールで彼は僕より点が一つ下で云々』。僕『いやあ同じですよ二人とも落ちたんだから』・・・。まあその時のデームスの僕を睨みつけた時の顔ときたら。小憎たらしいと思ったよ。でもデームスが太っちゃって連弾が物理的に難しくなるまでは一緒にやっていたし、楽しかったね。僕たちは本当にお互いに俺が俺が、って切磋琢磨する関係になったんだ。最近彼がまた痩せてきただろ、だからまた一緒にやるようになったんだ。」

「かれこれ75年だね。長い歳月を一緒に戦い抜いてきた戦友だよ。マダム、だからお願いするんだけど、デームスをレジェンド・シリーズに出していただきたい。」

この二人の間の「真の友情」にワンおばちゃんは本当に心打たれたのであった。その願いは了承したものの、おばちゃんに突如として災難が降りかかって来て、その話を実現することができずにいる間にデームス氏は亡くなられてしまった。ワンおばちゃんはこの話を受けた後、一週間の予定で日本へ帰国したのだが、明日はロンドンに帰るという時に膝を痛め歩けなくなり、日本滞在を長期で延期せざるを得なくなったのである。

デームスさんごめんなさい・・・。