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マリス・ヤンソンス死す

昨夜から今朝にかけてマリス・ヤンソンス死去でタイムラインが埋まっております。昔から心臓に病気があって、という話は噂程度では聞いていましたし最近はキャンセルがつづいていましたが、76歳はまだまだお若かったですね。

マリス・ヤンソンスはラトヴィアの指揮者でした。私の頭の中はけっこういい加減にできていて、旧ソ連とか言われるとどうもごちゃごちゃになってしまいますが、そうだったラトヴィアだったと改めて思い出したのでした。

ラトヴィアの音楽家というと、あとはマイスキーとクレーメルが思い出されますね。それからネルソンス、ガランチャあたりが思い浮かびます。「ソンス」っていうのはラトヴィアのあたりのお名前なのでしょうか。たぶんそうなのでしょう。

ヤンソンス、もちろん私は個人的な接点はゼロでしたが、ヤンソンスにまつわることで一番印象的に覚えていることというのは、私がまだ20そこそこだったころ(若い)、ヤンソンスについてベルリン・フィルのある弦楽器の演奏家の口からぼそっと出た「ロシアものはいいよね」という言葉です。「それ以外についてはよくない、認めない」みたいな態度だったので、なるほどなそういうものかと思うと同時に、指揮者というのはつくづく恐ろしい仕事だなともナイーヴだった私は思ったのでした。それはブリュッセルにあるピタ通りの居酒屋での出来事でした。1.2ユーロのヒューガルデンを飲みながら背筋が寒くなったのを覚えております。

その後自分もいろいろと少ないながら社会人として経験を積んできまして、オーケストラは70人もの個性があふれる場であり、特に一流のと呼ばれるオーケストラになればなるほど、その技量と強烈な個性をお持ちの方々と対等に、あるいはそれ以上に渡り合うことというのは非常に難しいことだと感じております。

そうそう、書いていて思い出しましたが、ウィーン・フィルの伝説的首席トランペット奏者の口から「カルロス・クライバーの1回めのニューイヤーコンサート(1989年)は非常によかったが2回め(1992年)は全然だめだった」と長崎のホテルのラウンジで聞いた時もぞっとしましたね。

でも、考えてみればですが、プロ野球やサッカーなどでも監督と呼ばれる人たちは常に批判にさらされ、結果を出してはじめて掌返し、ということが日常的に行われているわけでして、俺が俺が、と思っているスター選手たちの個性をうまくまとめ上げてはじめて結果が出せる。その結果を出せる資質と努力と才能と運を持った人だけが成功できる。そして成功を継続させることはさら難しい。過去の成功体験は役に立たないことも多い。本当に監督とは難しい職業なのだ。

それと一緒で、指揮者というのは極めて難しい職業なのです。・・・・という感じで本日はお開き。マリス・ヤンソンス氏のご冥福をお祈りいたします。