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パリ・オペラ座とダイバーシティ

フランス人に何かをしてもらいたかったら「誰もそれをやっていませんよ」とそそのかすのがベスト、というジョークがあります。このジョークにはいろんなバリエーションがあったと思いますけれど「沈みかけている船から人を海に飛び込ませるにはどうすればいいか」というやつがわかりやすくていいかなと思います。沈没船ジョークっていうらしい。Wikipediaにも記載があります

ま、フランス人というのはともかく天の邪鬼である、というのがフランス人に対するステレオタイプな見方であります。ちなみに日本人の場合は「みんなそれをやっています」というと動くそうです。ああ。

パリ・オペラ座の総監督に就任したアレクサンダー・ネーフ氏(1974- ドイツ)は多様性に取り組むと明言。バレエダンサーが黒塗り(黒人を演じるために施す舞台化粧)をするとかイエローフェイス(同じくアジア人風の化粧や衣装)をする、とか、そういうのはやめましょうということで、「いくつかのレパートリーは消える」と発言したため、フランスで論争になっているとか。

https://www.diapasonmag.fr/a-la-une/l-opera-de-paris-engage-la-bataille-de-la-diversite-32167

https://www.theguardian.com/music/2021/feb/08/paris-opera-to-overhaul-recruitment-practices-in-diversity-push

古い映画や漫画なんかの最後に「現代では問題となるような表現がありますが制作当初のなんたらかんたらで、そのまま放送、そのまま掲載」とかそういう一文が載ることがありますけれど、オペラやバレエの世界ではそれが難しくなってきたという感じでしょうか。時代の流れか。

なかなかに微妙な問題だなー、と思いますが、議論の終わりではなく始まりである、という風にネーフ氏は語っているらしいので、どうしていこうか、これから試行錯誤したらええやん、という話だと信じたい。なおこれは演出だけの問題ではなくて、雇用にも関わる問題だとのことです。あらゆる差別を撤廃していきたいということだそうです。

多様性を第一にするため芸術レベルが少々犠牲になってもかまわない、とするのは間違いですが、芸術レベルの維持を盾にして頑として多様性を否定するのもいけない。また芸術や文化は言語や地域社会、時代の情勢とも密接に関わっているわけで、掘って行けば行くほどに解決困難な問題だよなーと思います。一気にやると歪がでるし人々の心情も逆なでするから、時間をかけて取り組むよりない。何十年もかけて徐々に徐々にやることだと思います。差別はないのがいいに決まっている。

反射的に、うわっ、外部の人間がパリのオペラやバレエの伝統を壊しに来やがった!と反発するのは間違いだし、ただ単に臭いものに蓋をするように上演をやめる、というのもあまり建設的ではありません。

オペラに関して言えば蝶々夫人(主人公は日本人の設定)はどうなる、とかオテロ(黒人の設定であることが多い)は、とかすぐに思いますし、サリヴァンのオペレッタ《ミカド》もポリティカルコレクト的にはアウトすよね。ミカドについては上演中止に追い込まれたという事件もありましたし。

こういうのは演出や読み替えで解決して行くんでしょうかね。信じられないぐらい無茶苦茶な読み替え演出はさんざんドイツの劇場とかでもやってきているわけですから、なんぼでも出来るんと違いますか(お金をかけて作った過去の衣装やセットを捨てて新しいのを、となるとまたお金がかかりますけど)。

いや、そのうちですよ、「トゥーランドットの中国風の音楽がけしからん!」とか「クライスラーの《中国の太鼓》にボイコットッ!!」とか「プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の終楽章はアウトっしょ」とかそういう風に話が行く可能性もあります。アジアだけじゃなくて「メシアンの《ハラウィ》はペルーを冒涜している!」とかね。

ないない、って、言い切れます?