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オルガ・パシュチェンコがやってくる 後編

リュビモフのコンサートのプログラムを制作しているときのあの ドキドキ&ワクワク!これは何事にも変えられない愉しいひとときです。よく時間が過ぎるのを忘れてしまうと言いますが、まさにそういう感じです。

それでも、リュビモフが「電話下さい。プログラムについて相談したい。」「何をおっしゃるマエストロ!もう先月決めたでしょ。そして発表しますよと言ってチラシも見せたでしょ!だめですよ」「わかっているんです。でも……..」ああだこうだよく色々と理由を考えられるのだと感心するのだけれども、要は変えたい。

以前、ワンおばちゃんには、バドゥラ・スコダに「どうしたものでしょう。こういう時は」と相談した訳では無いけれども、話をしていたら「主催者側やそれどころか、招聘元は一番困るでしょう。だけれども、本当に良い演奏会にしようと思うのならば、演奏家も生き物なのだから、これはもうこういう人種だと思って受け入れた方が良い場合の方が絶対的に多いですね。最も室内楽やコンチェルトで、そんなこと言い出したらたまったもんじゃありませんが。名前は言いませんがね、ある時、本当にこの協奏曲、どうしても今は弾けないからこれに変えてくれなんて言うこと言った人がいましたが、私はその人のことをよく知っていたので、如何なるのかととても心配していましたが、結果的にはその人の希望が通って本人にとって一番良い選択となったわけですが、こんなこと言っては如何かと思いますが、レストランのメニューと一緒と考えたほうがいいと言う部分もありますね。その日、舌平目が入荷しなければ、そのレストランの名物がソール・ボンファムでも出せませんからね」これに関してはさらに脱線してしまうので、また別の機会に。

パシュチェンコとも昨年の8月から行ったり来たり、メールの中でプログラムをやりとりした。 今から考えてみれば、これはもうリュビモフとのやりとりと全く一緒だ。 一番重要な点は「空間」と楽器で其れ等を考慮してプログラムを作る。 パシュチェンコとのやりとりの往復書簡のような流れは一つのものを一緒に作り上げていくと言う楽しみと達成感があり、先週まで気付かなかった。これが我々裏方の仕事の醍醐味である この仕事は、残念ながら大変な経済的リスクを伴い報われるか如何かも判らない。ある意味では危険な仕事である。 しかし、「そこに山があるから登る」と言ってエベレストに挑戦する人たちと同じ様にロマンを求めて続ける我々である。 パシュチェンコはリュビモフ同様ワンおばちゃんのエベレストなのだ(ワンおばちゃんが登りたい山は他にある) 昔は大手音楽事務所だけが招聘をし、コンサートを企画していた。今、演奏会の企画制作をする人たちの数が増え、小さなコンサートが色々な場所で行われる様になった事は誠に喜ばしいことである。これが我が国の音楽文化の発展に大いに役立つと言うことを確信する。 一言で言えば、この仕事の喜びを知ってしまえば、もう止められない。最も、そう思わせてくれる演奏家もそう多いわけではない。

実に2018年以降、7年の歳月を経て実現する。オルガパシュチェンコの来日。 その待ちに待った日が近づくと、今度は今までの“わくわく感”が徐々に“じわっと”来て“ぼーっと”してしまうのである。まるで夢のまどろみの中に心地よく浮いているような感じである。 この経験はリュビモフやイサカーゼの初公演の時と同じで、こう言う感覚がこの仕事をしているときの長年の「感」に結びつくのである。 コンサートの成功を何で図るのかと言うのは人其々の基準があるので一概には言えない。

今まで「やって本当によかった」「又是非」と思い出す名演は不思議なことに経済的なサクセスとは一致しない場合も数あるが、言えることは、生涯続く満足感と喜びは、何者にも変えがたい最高の贅沢な財産である。 今オルガ・パシュチェンコを待ち侘びるワンおばちゃんの次なる“一生ものの贅沢な喜び”を皆にもシェアーしたいと言う気持ちでいっぱいです 熊は冬眠に備え食糧を確保する!人は“心の肥やし”に良い音楽を蓄えるワンおばちゃんは両方蓄えたので太ってしまい苦労しておりますが音楽の蓄えは健康にも精神にも有効です。

オルガ・パシチェンコ「是非、絶非日本へ!」と思っていて7年間念仏の様に口の中で唱えていたのは良いが、その間彼女がもうヨーロッパでestablishされた引っ張りだこの演奏家として確固たるキャリアを積んでいる事はなんとなくは聞いていたが実感が余りなかった。

それは何故かと言うと、彼女が自分の成功に関して一切喋らないからだ。何処で演奏した、あのオケと共演したとか言うことを述べる事がなかったので「ごめんなさい連絡がしばらく取れなくって!兎に角忙しくって!」“I understand とか言いながら”子供の世話と2箇所の音楽院で教授 のポストをこなしているんですもの、無理もないわね“と勝手に思い込んでいた。

何とあっちゃこっちゃの演奏会で忙しくしているのであった。全く言ってくれないので、ゲバントハウスやLPOや何ちゃらかんちゃら…..。能ある鷹は…とはよく言ったもの。知らなかった!恥ずかしい。ずっと昔から唯々素晴らしい、貴方はリュビモフの後継者だはとか言っていたけど….ああ恥ずかしい!無知って怖いは。ヨーロッパから離れてしまったらダメなのね。日本は国内で自己完結してしまうリスクがあるので、招聘や企画制作をする側は本当にその事を自戒し、常に海外に目を向けてupdateしておかないとワンおばちゃんの様に今浦島になってしまいます。眼を、自分にも内外にも開いて居ればそれだけでflexibleに色々吸収出来る筈なのですが……

“オルガパシュチェンコ”で会いましょう