「ご存知かもしませんが濱田滋郎さんがお亡くなりになりました」。昨日午後メールを受け取り、たいへん驚きました。
濱田先生は歳をお取りにならないようだ-こういう短い会話をしたことを、いまでもはっきりと覚えています。「いつ見てもお若い」。横浜の青葉台駅前にあるフィリアホールの舞台袖で、ある著名ギタリストとの会話です。思い返してみればそれもけっこう前のことで、今から10年近く前のことでした。コンサートが終わり、濱田滋郎氏がギタリストをねぎらうため舞台袖に来られ、そのギタリストと軽い立ち話を済ませた直後のことです。
浜田滋郎さん死去 音楽評論家、日本フラメンコ協会会長(東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/93145
東京から500キロ近く離れた街に生まれ育った私ですので、高校生の頃まで濱田滋郎氏のお名前は音楽雑誌を通じて知るのみでした。「よく見るな、この名前」ぐらいなところからスタートしたわけです。そして大学から東京に出て、おそらくスペイン音楽史かなにかだったと思いますが、学校での講義を拝聴したのが《生の濱田滋郎》初体験でした。一度見たら忘れえぬ特徴的な容貌で、この人がそうなのか、と思ったのを記憶しています。
その後も、きちんとお話をさせていただいたことはありませんでしたが、折りに触れお元気そうな後ろ姿は拝見させていただいていました。一昨年にスペインの大歌手マリア・バーヨを我々が招聘した際も会場でお姿をお見かけしましたが、それがもしかすると私が「濱田滋郎氏を目撃」した最期の機会だったかもしれません。
飄々として、力の抜けた、という言葉がふさわしいお方だったと思っています。お書きになる文章にも力みが感じられませんでした。私のような無駄にテンションが高くそして圧の高い言葉も使う人間の文章とは全く異なっていて(自分の名前を比較で出すのはいささかならず僭越だとは思いますけれど)、濱田滋郎氏の、押し付けがましさがなく、どこへでも軽々と飛んで行って好きなところにふわりと音もなく着地する、というたぐいの文章には本当にあこがれるというか、真似のできるものではないと感じていました。広範な知識そして実体験によって裏付けられた説得力のある言葉の数々は、決して偉ぶったり上からの目線になることがなかったのではないでしょうか。読むほどに様々な世界が読者の眼前に鮮やかに浮かび上がり、読了後の気分は極めて爽やか。
肉体という縛りから解き放たれ、さらに楽々と飛翔されているのではないか、と想像力をたくましくしています。一読者として「長い間、ありがとうございました」と、そっとお礼を言いたい。
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