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ヤエル・ワイス公演に寄せて

ヤエル・ワイスはアウシュヴィッツの生存者とウクライナのリビウからイスラエルに逃れて来た双方の血を受け継いでいる。彼女の平和への渇望と言える程の情熱は正にその彼女の中に流れている血がそうさせているのである。「私の学校時代、私たちはアラビア語、とヘブライ語の両方を教えられ、共存の道を歩もうと言う空気があった。今は……」ベートーヴェンが200年前にヨーロッパで経験した「侵略や戦争への怒り」からミサ・ソレムニスとその前後の作品群から汲み取られる強烈な平和への願いをワイスはどの様に表現するのか。ベートーヴェンの専門家とも言えるワイスの演奏が楽しみだ。今回は広島 長崎だけでなくアウシュヴィッツ開放の80年と言う年。「我々は今、どの様に平和と向かい合うのか。「平和」と言う“言葉”を使い古されたただのwordにしない為に 自分に何が出来るかと考えた時、この演奏会に辿り着いた。残念ながら特に東京は雀の涙以下の入場者数であるが、正に“平和”が実り有る言葉であって欲しい、そうでなくては困るという意味で動員はしません。 残念ながら「平和」の尊さを認識す流ような事が起きた時には時すでに遅しと言うか、我々は平和ボケになってしまっているような気がします。今、世界の彼方此方で苦しんでいる人々に何かをしてあげることはできません。この演奏会を通して、そのことを考える糧にしていただければと思います」このメッセージは10月に再び来日して「不屈の民の改訂版を演奏するエマヌュエル・イワノフとワンおばちゃんのメッセージです。 本年MCSは、不屈の民の初演者、オッペンズ(リュビモフ曰く「アメリカにおける現代音楽の化身」)による初演版を6月、それと改訂版を10月にイワノフでお届けします

ヤエル・ワイスはベートヴェンのソナタ全曲をレパートリーに持つ。ベートーヴェンのトリオ全曲も録音している 正にベートーヴェンの専門家だ。彼女のベートヴェンを取り上げることにした理由の一つはここにある。 そのベートヴェンに関してセクゥエラ・コスタとの昔の会話を思い出した。 今から30年前ぐらいだったと思う、セクエラ・コスタがベートヴェン・ソナタの公開レッスンで、第一楽章だけでレッスンを受けに来た人がいたので断ったと言いながら大層ご立腹だった。ワンおばちゃんの常識でもそれはやはりないなとは思うけれど、セクエラ・コスタは更に付け加え「僕だからこの程度だが、ヴィエンナ・ダ・モッターだったらさしずめ、ベートーヴェンソナタ、全曲やってから来なさいと言っても驚かないね」「先生は言われたんですか」「僕は最初ついた時はたまたま子供だったから言われなかったが、ほぼ全曲やった後“さあ、これから本当にベートーヴェンのソナタというものを君は学ぶのだ”と言われたよ。するとね、別のものが見えてくるんだよね。人の顔っていうのも、正面で見てるのと横顔ってちがうだろ。君もよく観察すると良い。後ろ姿って本当のその人が写っているんだ。正面が人に見せたい顔。横とか後ろにその人が見える。全曲通すとその横とか後が見えてくる様な気がするんだな。それを読み解いて初めてソナタが何となく見えてくるんだ。でもね、そういうことがわかるようになる頃には最初にそう言う事を教えてくれた恩師はもういなくなっているんだよね。その時こそもっと聞きたい、教えて欲しいことがいっぱいあったんだ」ダ・モッタはリストの最後の弟子であった。セクエラ・コスタはそのダ・モッターがなくなる迄の12年間師事した。