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チャイコフスキーゆかりの街がロシアの攻撃と占拠で破壊される

チャイコフスキーはどこの作曲家ですか、ロシアです。しかしウクライナに祖先を持つということは覚えておいてよいでしょう。キエフの音楽院に「チャイコフスキー記念」という名前が冠されているのはそのためです。

チャイコフスキーの祖先はウクライナのコサック(軍人さん)でした。なおチャイコフスキーという名字の意味は、「チャイカの息子」とかそういう意味であり、チャイカという名字はウクライナによくあり「カモメ」を意味します。ピョートル・カモメの子さんであります。そう、リアル「わたしはカモメ」なのだ!

なに!!テレシコワさんか!!

「わたしはカモメ」と発言したことで知られる女性初の宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワさんがまだご存命どころか現役の議員さんであることをご存知の方はさほど多くはありますまい。子供の頃私は世界偉人伝とかそういうのを読んで、自分のことをカモメと表現するとかすごくロマンチックだなと感動したんですが、実のところはコードネームが「カモメ」(チャイカ)だっただけです。「わたしはカモメ」ではなく「こちらカモメ」的な意味らしい・・・ガーン。もし左の一文があなたの長年の夢も壊したのだとしたら、ごめんなさい。

さて、チャイコフスキーは自分自身の出自がウクライナにあることを意識していたし、ウクライナを愛した事も知られています。

ハリコフから左上におよそ100km行ったところに、チャイコフスキーが「マイホーム」とまで呼んだ街、トロシュチャネツ(現在の人口2万人)があります。

チャイコフスキーがここに滞在したのは24歳のとき、友人のアレクセイ・ガリツィン公(ベートーヴェンに作品を委嘱した人物とは別人です。親族かもしれませんけど)の家に滞在し、ここで最初の本格的な管弦楽作品、序曲《嵐》(《雷雨》とも)を作曲しました。

チャイコフスキー:序曲《嵐》ホ短調 作品76

作品番号が76となっており、交響曲第6番《悲愴》の74よりも後の数字なのは、この曲が死後になって出版されたからです。生前には演奏されなかったそうです。

そんなチャイコフスキーにゆかりのある街トロシュチャネツがロシア軍によってめちゃくちゃに破壊されました。1ヶ月にわたり激しい戦いが行われ、3月26日にウクライナが奪還。ディアパソン誌によれば、チャイコフスキーが滞在した家も一部が破壊されたが、別館というか、離れが壊れただけで済んだのだそうです。

https://www.diapasonmag.fr/a-la-une/une-ville-ou-a-sejourne-tchaikovski-detruite-par-larmee-russe-25222.html

AFPのツイッター:

上の動画でインタビューを受けている住人によると「すべては再建される」とのこと。力強いウクライナに栄光を。