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アシュケナージの引退に思うこと

アシュケナージが引退するそうです。日本語でもアナウンスされていますのでわざわざ私ごときがここに何かを書くことなんてないんですが、個人的な思い出など。お会いしたこともないので本当に単なる個人的な思い出なんですけど。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200119/k10012250831000.html

空で言えますがアシュケナージは1937年生まれです。ポリーニは1942年生まれです、アルゲリッチは1941年生まれです。空で言えるって言うことはそれだけ思い入れがあったということです。たぶん。ええ、ええ。

はじめて買ったCDはアシュケナージでした。小さな子供の頃、父親が車で流していた、もちろんイ・ムジチの「四季」のカセットテープとかはありましたけれど(カセットテープ!!脱線しますけど、一時期車の中で阪神タイガース優勝のドキュメンタリーカセットテープと四季を交互に聞いていた気がします。記憶が混線しているかもしれませんけど。なんということでしょう!!バース、掛布、岡田3連続バックスクリーンホームラン!!!・・・・ついて来られない人はついて来なくて結構。うそ、ついて来て)。

私がピアニストを志した中学3年の頃、おこずかいで買ったはじめてのCDがアシュケナージだったのでございます。デッカで、ショパンの練習曲集全曲でした(含3つの新練習曲)。その次に買ったのも確かアシュケナージ、ベートーヴェンの皇帝でした。アシュケナージ、と聞けば上の画像が私の頭に自動的に再生される事になっています。阪急桂駅前にあったレコード店でした。

この2つのCDについてはもう何回も何回も、ピアノの練習に疲れた後とかにピアノの横やら下やら寝っ転がって聞いたものです。楽譜片手にショパンの練習曲集を聞きまくっていた中学生とか恐ろしいな。今自分がその横にいたら引くかもしらんな。きみきみ、そんなんばっか聴いてないでほかももっと聴きなよ。ほらほら、チェリビダッケ。(それはそれで引く)

アシュケナージの譜めくりをした、というアメリカ人ピアニスト、アラン・ワイス(私がピアノを習っていたおっちゃん)との話もよく憶えています。「そばでそのテクニックをじっくり見たけど、彼はフィンガーレガートを一切使わないんだ」これも大変ためになりました(・・・てかふーん、そうなんだすげーと思って一人感心していただけ)。

伝説のショパンコンクールの3度のエチュードの事もエピソードとして何度も聞きましたが、アランに、ほら、これ、と渡されたCD、それがそのワルシャワライブのものでした。「これ、1/4ぐらい音のピッチが高いから(CDにする際、レコードを早く回しすぎたんだと思います)、実際にはこんなに早くなかっただろうけど」といって渡されたCDも興奮しながら聞きました(やばい奴)。

日本に戻り音楽事務所に就職した後は、アシュケナージとジャスパー・パロットの関係について聞きました。曰く、ジャスパー・パロットは若い頃毎日アシュケナージと電話でコンタクトを取ってアシュケナージからの信頼を得ていた、そこまでやれとは言わないがアーティストとマネージャーの関係はともかく密でなければならない。なるほどなー。

まあ自分の音楽人生において、特に生徒だったころに置いてアシュケナージという人は私のアイドルのような存在だったわけです。82歳という年齢は高いのか低いのか。近年はソロ活動は控えめになっていて、クラリネットや同じくピアノを弾く息子たちとの共演なんかも増えていました。病気やなんやで公演のキャンセルもありましたし、本人の中でも葛藤があり、決断に至ったのでしょう。

ハッピー・リタイアメント!とつつましく東京の端っこより叫びたいと思いました!!ロング・エンド・ハッピー・リタイアメント!!あっ、4ヶ月の長女がびくっとしたわ。ちゃんとお耳が聞こえるんだねえ、よかったねえ。