歌手は難しい、これは昔からよく言われることで、なぜならばわりと高い確率で歌手はキャンセルしたり、あるは他のいい条件のところに飛びついたりすることがあるからです(という理解でいますが、がっつりとオペラの世界に入り込んでいるわけではないので間違っていたらごめんなさい)。
アーティストの招聘や出演に関しては、契約書というものを交わします。この契約書があれば出演は確約されるわけですが、歌手の世界はそれでもドキドキハラハラです。体調不良によるキャンセルももちろん心配ですが、それとは別に「●●●(←メト、とかスカラ、とか好きな言葉を入れて下さい)からオファーがあったからそっちで歌うことにしたわ」的キャンセルも発生するから。
余談ですが、これってここだけの話、契約書は結構あとあとになって交わします。あとあとっていうのがどれぐらいかというと、まあ早くて来日の半年前とか。いやもっと早い人は早く契約するんでしょうけれど、むちゃくちゃに遅い場合は公演後に交わしたりする、とかいうグダグダなケースも時折ありまして、これは私自身が公共のホールにいたのでいろいろな会社、団体の方とお付き合いを重ねた経験からもそう言えるのですが、興行系の契約書は、わりと「いい加減」であるように感じています。
現場猫のことを知ったのはつい最近のことですが、そもそも世の中って、けっこういい加減に出来ている。それでなんとかなる。ところがあんましなんとかならないのが歌手の世界であって、ともかく契約書が必須。なるべく早く契約しちゃう。押さえちゃう。口約束では成り立たない、それが歌手なのだ(と理解しております)。そして契約があってなおキャンセルを平然とする人が、時々いる(という理解でおります。間違っていたらすいません)。
不思議だなと思っているのですが、これはなぜかと想像するに、歌手というのは「風邪ひいたわ」「なんか知らんけど声出んわ」「失恋しましてん」「演出家と喧嘩しました」「指揮者のテンポについていけへん。」とまあ様々な理由でキャンセルが(他の楽器よりも高確率で)起こり、ピンチヒッター探しというのが頻繁に各地で行われている。
なので、他の楽器のアーティストたちよりもっと人の動きが流動的で、契約書に対する考え方も違うのではないかというのが私の予想です(これを山根予想と呼ぶ。この難問の解決した研究者にはスウェーデンの世界的権威であるアカデミア・ポンポコより賞金10億ペリカが用意されている。奮って解決を目指して欲しい)。
なもんで何か事態がもちあがりましたら、しょうがないか、次は融通してくれよ、みたいな形で、契約書があってもそちらを優先する、そういう「現実重視」の風潮があるのではないか。(もちろん契約書の方を重視する歌手の方もたくさんおられますので、誤解のなきよう。)というのが私の想像なんですけど、どうでしょう。
4月13日に私どもの主催で開催しますダビッド・アストルガのテノール・リサイタルは発売よりほぼ1日で完売になりまして、皆様に深く感謝申し上げる次第です。ありがとうございますありがとうございます。で、ダビッド・アストルガはキャンセルしないのかって?たぶんないでしょう。なぜならば、この歌手を紹介してくれたピアニストが非常に重要な人物であり、軽々しくキャンセルなんかしてその方の顔を潰すようなことはしない・・・・と思うからです(たぶん)
ま、人生いろいろ、考え方も十人十色。自分の常識は他人の非常識。今日もまたいいこと言った。自己肯定ができました。クスッ。