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【ベンジャミン・フリスのベートーヴェンへの道のり】迷路その1:メンデルスゾーン横丁の巻2の後日談、その2/リュビモフとイサカーゼの言葉

この歌手の「50代に入ったらリートを、art songsを….」という言葉がとても気になって、頭の中をぐるぐる回っていく。最初なんでこんなに違和感があるのか気になるのかと、すっきりしなかった。Beehiveで気の抜けたシャンパンを飲みながらふと考えた。「そうだリアナ・イサカーゼの言葉だ………..」「N子、よく聞いてよ….これは真実よ!…..貴方は若手を支援すると言っている。だとするなら売れるプログラムを若手にやらせるより 将来の音楽に蓄積になる土台を作るプログラムを弾かせてあげなさい。無伴奏はお金にならない!チケット販売は難しい!でもこれだけは言っておく。20代、いや10代から無伴奏に真剣に取り組み、人前で演奏し続けなきゃ絶対いい無伴奏はないからね。無伴奏はね、練習するだけじゃダメなの。人前に自分を晒して、人の批判に身を晒すのよ。それに耐える演奏にする為自分を鍛えるのよ。英語のscrutinizeって言葉よ。褒められようと思っちゃダメなのよ。褒められたらおしまいよ!」ワンおばちゃんは聞いた「どうして褒められたらダメなんですか?」「バカ言っちゃ困るは。貴方何聞いているの?素晴らしい無伴奏の後、言葉なんか出ないはよ!アンコールだって弾きたくないし 聴衆も求めない……。本当に双方とも、聞く方も弾く方も満足!それが無伴奏!」「なるほど!」そう言われてみればそうだった。イサカーゼの無伴奏の後の静寂は得も言われぬ経験だった。 「でもこれはヴァイオリンを握ったその日から始まったのよ。だから若手には10代から無伴奏で演奏会を開催してやって欲しい。どんなに練習しても、コンクール歴があっても兎に角ヴァイオリンって楽器はお客さんあってのものだね。オーケストラの一員として演奏するのと、ピアニストと一緒に舞台に立っているのとも違う。一人でみんなの目と耳が集まってその中で自分をダイアモンドを磨くみたいに磨くのよ。褒めてもらったんじゃ磨けないわよ!こういうの20代過ぎたらもうダメなのよ。知り合いが30代や50代から無伴奏なんて言ってるけど、聴きたいと思わないはね。ピアニストや他の仲間に支えてもらって舞台に立ってんじゃないから怖いのよ。その本当の恐怖を知らないで舞台に立つのって聴衆を馬鹿にしてるのよ……。そういう習慣を若い人につけたくないの。真剣勝負を10代から体に染み込ませなやいけないのよ…..」 そうだこれだリートは正にヴァイオリンの無伴奏だったんだ。何となく自分で何か腑に落ちた気持ちになってBeehiveの残り物のバークシャーのソーセージを頬張った。 若い時からリートに取り組んできていない声楽家の歌曲はやはり音楽に対峙する姿勢からして違うのだと思える。最終的にリュビモフの言う通り、音楽は上手でも下手でもない。下手でも素晴らしい音楽があれば、上手でも音楽的な満足を得られない演奏もある。 ドイツ・リートや歌曲、ヴァイオリンの無伴奏は其々の演奏家の自らが立つ位置を確かめる為の自問の旅路であり、40代近くになって「私は何処」と言っても始まらない。遥か遠くの自分の来た道を辿り、一から出直すつもりがない限り難しい(イサカーゼ談)」 リュビモフ曰く「僕はピアニストではありません。まして上手なピアニストではありません。あえて言うなら下手な演奏家です。芸術家なんてとんでもない。私は一人の職業音楽家にすぎません」ピアニストと名乗ることを最後まで拒否した大巨匠とヴァイオリンの巨人イサカーゼに乾杯!