今回の“ソナチネ全集の中から”と言うプログラムの発想は、今に始まったことではない。以前サントリーホールでリュビモフのリサイタルのリハーサルの時リュビモフが「何となく今日はいきなり違うものを弾きたくなるって言う気分だ。プログラム変更するのはどうだろうね」「いやここは日本ですからね。それはちょっと。いや絶対だめです。日本だから」ロンドンですらサロンなら、ともかく、コンサートではまずない。具体的な会話を全て覚えてるわけではないけれど、「私はショパンより、むしろ貴方のDussekが聴きたいですね」「何故最初からそう言わない?」「そう言ったら弾いてくれましたか?」「何時も貴方の意見を尊重してきたじゃないか」「貴方がショパンを弾きたいと言うから……まぁまぁこれからコンサートですから……」コンサートから数日後、リュビモフが「Dussek、いいね。ブロードウッド関連でショパンもベートーベンもDussekもしっくりくるね。一つのepochとして。うん、いい考えだ」
その後リュビモフと今年の始め電話で「DussekやKhulauなど全く見向きもされず、作曲家の名前すら忘れ去られたような状況でClementiが辛うじて、認知を得ていると言う昨今、ソナチネ・アルバムに収めるられている作品はハイドン、モーツァルト、ベートーベンも含めて、“子供の時弾いた事がある”と言う名目のもと、蔑ろにされている。これらの曲は珠玉の名曲とまでは言わないがSpotlightの当たってしかるべきもので、今一度再び立ち止まって原点に戻り見つめ直して欲しい作品群である」と意気投合した。
リュビモフとの電話で面白かったのは「知ってるつもり」の恐ろしさの話だ。大概、「その曲知ってる」、「弾いたことがあります」とくると、会話はそこで終わってしまう。悲しいことに実にそう言う会話は多い。イタリア古典歌曲が同じ様な道を辿りそうだったところ、昨今の古楽界が活性化したお陰でその運命を逃れた様だ。名曲とは皆が知っている曲の事なのか?誰でもピアノを学べば、一度は接するだろうこれらの曲を今もう一度聴いて考えて欲しい。あなたには何が聞こえるだろうか?
サントリーホールでの会話から6年、今年この企画を実施するにあたりそれでは、7月に来日する彼の愛弟子シェレポフに頼もうと言うことになり、実現するサロンコンサートである。
今回リュビモフの弟子のシェレポフを迎えピアノを学んだ誰でもが一度は馴染み親しんだソナチネ・アルバムに収められている作品を通して、 Dussek達の生きたフォルテピアノからピアノへの時代にスポットライトを当ててみたいと考えています。
東京では使用される楽器は1924年製のベヒシュタインのセミコン、福知山は1901年製のベヒシュタイン。
未だ音響設計なる概念などない時代にこれほどの素晴らしいacoustic designを施せたのが不思議と思われる蒲田の御園教会で7月27日(土)に。楽器と会場、奏者とこの3つの要素が揃う瞬間。どれ1つ欠けてもいけない。7月20日(土)の福知山サンホテル扇ホールは音響設計はサントリーホールと一緒の永田音響設計です。