1923年12月15日? – 2020年7月1日?
伝説の巨星墜つ。ポーランド出身のヴァイオリニスト、イダ・ヘンデルがお亡くなりになりました。1日、アメリカ、フロリダにて。ヘンデルっていう名字ですから、例のバロックの偉大な作曲家と何らかのつながりがあるかって思いますやんか、そこんところは・・・不勉強で知らないんで誰か教えて。
カール・フレッシュとエネスコに学び、シゲティも絶賛。1935年ワルシャワで開催された第1回ヴィエニャフスキ国際コンクールで第7位に入賞(1位はヌヴー、2位がオイストラフ)。ヌヴーが49年に飛行機事故で早世したため、戦後のもっとも有名な女性ヴァイオリニストとなった。
風変わりな衣装、フワッフワの髪型、飼っていた歴代の犬の名前は「デッカ」(初録音のレーベルに敬意を評して)。そして・・・・ピンヒールがトレードマーク。老いてなおピンヒールを履いていたというのは、男の私にはわからないのですが、家人によりますと大変すごいことらしいです。個人的にはヨーゼフ・ハシッドとカップリングされたCDで聴いたのが最初でした。
イダ・ヘンデルが弾くシベリウスのヴァイオリン協奏曲(1981年録音)。どこ立っとんねん。
年齢に関しては諸説あり、ガーディアン紙によれば96歳、グラモフォン誌によれば91歳。レブレヒトは91、もしくは92か94と書いている。年齢について尋ねられると激怒した、という話もあるそうです。
レブレヒトによれば晩年は miserable(悲惨、みじめ)だったそうです。孤独だったんでしょうね。孤独。つらいな。天才は孤独だ。
In a 2004 interview Haendel stated that in 1937 ‘the agent Harold Holt wanted to present me at Covent Garden as a prodigy, a Sunday afternoon concert, with Thomas Beecham. Then the council said no child under 14 is allowed to appear. My father and Mr Holt made up a story and said I was 14, and that’s what is recorded ever since.’
https://www.thestrad.com/news/violinist-ida-haendel-has-died/10901.article
訳:2004年のインタビューでヘンデルが語ったところによれば、1937年に「エージェントのハロルド・ホルトが神童として私をコヴェント・ガーデンの日曜の午後のコンサートに出演させようとした。指揮はトーマス・ビーチャムだった。しかし14歳以下は出演できないと議会に言われたので、私の父とホルト氏は私のことを14歳だと言った。以来それが記録されてしまった」 ― ストラド誌
・・・・のだそうですが、実際はよくわからないみたいですね。パスポートにはどう記載されていたのだろうか。こういう「よくわからない」っていうヴェールに包まれている感、なんかいいなって思ってます。
以下、ヴィエニャフスキ国際コンクールのサイトでヘンデルの1959年録音の古い音源が聴ける(2曲)のでぜひ聴きに行って下さい。
https://www.wieniawski.com/haendel_ida.html
なお死去の日付についても各メディアで混乱があり、6月30日と記載しているところと7月1日と記載しているところとがあってどちらが正しいのかわかりません。