ググニンが初めてシルヴェストロフの作品を弾くきっかけは2023年の早春の事だった。
東京のオペラシティーでググニンも企画制作に加わってウクライナの為のチャリティー・コンサートをウクライナ、ロシア、日本の演奏家で一つにステージを作ろうと言う話になった。あえてロシア音楽を避けず自然体で臨もうと言うことになり、ウクライナの作品も取り上げると言うときに、彼なりに色々な作品を取り上げようと楽譜もあさったもののどれもこれだと言う決定打的な音楽に出会わなかかったと悶々としていたところワンおばちゃんが「シルヴェストロフは如何なの?」と言ったものだから、別段抵抗もなく「どれどれと」楽譜を広げてみたのが始まりだった。楽譜を入手すると、最初初見でも弾けるなと言う様な感じで、余り取り組むと言うよりパッと弾いて「うん、こんなもの」と言うふうに考えていた様だ。
ところが実際コンサートに向けてヴァイオリニストの弓新や、アレクセイ・セメネンコとリハーサルが始まると「これはとんでもない曲だ。肌に染み込むのに時間が必要だ。これは僕の体の中に入り込んで血液の中に溶け込んで身体の中をぐるぐる回らなければいけないと言うことが判った」
ワンおばちゃんが言った「だから言ったでしょ。これはずっとカバンの中に持ち歩いていつも引っ張り出して演奏続ける曲よ。罠なんだから。みんな最初誰でも簡単に弾けると考えちゃうんだから」その後、シルヴェストロフのレパートリーが少しづつ増えて色々なコンサートでプログラムに取り入れる様になったググニン。やっと馴染んで来た演奏とでも言うのか彼の声になって息遣いが聞こえる様になって来た。
さらに面白い事に時々ググニンが電話で「如何思う?」
シルヴェストロフの音楽がプログラムの中の順番と位置にで違う様に聴こえる。具体的にいえば特定の曲に挟まれると全く違って見えると言う感じがするのだと言う。前職でオーケストラの企画制作に長年携わって来たワンおばちゃん自身が感じて来た事なのでよく理解できる。
つまりシルヴェストロフと言う作曲家が一見無色透明な様に見えてググニンによれば「すーっとと入り込んで来て、色々と形や形態を変えて音楽会のプログラムの中にひっそりと存在感を放っている。そして演奏が終わると何だか開放された気分になって、自分の中でもどっか方向感が変わった様な“新たなる目覚め”の様な空気が毎回放たれる」という。これが心地よいのでは無く「解放」だと言うことが重要なのだとワンおばちゃんは思う。シルヴェストロフの中の得体の知れないマグマの様な力が地表の下に静かに蠢いていて、それを理解し体現する演奏家が演奏する時にその力がエネルギーを解き放つのだと今日広島のサロンコンサートでググニンのシルヴェストロフのバラードを聴いて思った。多くの演奏家がシルヴェストロフの音楽を心地良い演奏に仕上げてしまうのとは一味も二味も違うシルヴェストロフであった。