このページは宗次ホール副支配人、西野裕之氏とのインタビュー(前編)です。
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音楽的なバックグラウンド、入社のきっかけ
山根:こんにちは。このたびはありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。さて西野さんとは、私が音楽事務所アスペンで働いていたころから、ときどきお仕事でご一緒させていただいていました。お会いした回数は多くはありませんが、はじめてお会いしてから10年以上経っていますね。
西野: これっすね。(当時の写真をスッ・・)
山根: ウギャアアアアア、懐かすぃぃいいい!!!!(差し障りのある写真なため公開は控えさせて頂きますあしからずご了承下さい)・・・若かったんだな俺ら。さて早速ですが、まずはクラシック音楽と西野さんとの関わりについて教えて下さい。
西野: 子供の頃にピアノを習っていたこと、小学校での鼓笛隊に始まり大学まで吹奏楽をやっていたこと・・・などでしょうか。
音楽は好きでしたね。自分から自発的にクラシックを聴こうとかコンサートに行こうとかするようになったのは高校生のころかなぁ。決して早くはないですよね。当時はとにかくもうロシア音楽が好きでした。大学で上京してから更に偏愛がひどくなって、CDショップに行くと「G」の棚によく行きましたね。グラズノフ、グリエール、グレチャニノフ・・・。
山根: そうでしたか。それはマニアックですね。ロシアですとグリンカとグバイドゥーリナも【Г】(G)ですね。ちなみに私の名前はキリル文字ではГоро Яманеです。スラスラと読めた方はロシア通ですね。速やかにブラウザを閉じてご退場ください。
今の仕事に就かれて何年ほどたちますでしょうか。そして入社のきっかけもぜひお教えください。
西野: 2007年6月の下旬に入社しましたから、もうすぐ13年になります。2007年の春は学生時代の続きで東京周辺にいて、塾講師のアルバイトをしていました。それなりに忙しかったけれど、将来的な展望は漠然としてたんです。
そんな折、父親から「名古屋に《宗次郎ホール》というのが出来たらしいがスタッフが足りなくて探しているらしい。音楽が好きだったらそういう仕事はどうだ、実家(=名古屋の隣、愛知県瀬戸市)に帰ってこないか」と。詳しく話を聞いてみると、父の同僚の奥様がその当時の宗次ホールの「中の人」の友人で、伝え聞くところによればとにかくスタッフ不足だ、と。なんでも支配人がオープン前の準備室段階で辞職したとか・・・。
「宗次郎って、オカリナの?」と思って、とにかく言われるがままに中の人に連絡を取ってみたら、いや宗次はムネツグと読み、ホールを建てた人の名前だと知りました。で、面接に行ったら2代目支配人という人が現れて「いつから来られますか?」と。
山根: なるほど。ホールはオカリナっぽいの形をしているのでしょうか。
西野: 違います。
山根: ちなみに宗次ホールの外観、内部の写真はこのページとかをご覧ください。見た感じオカリナっぽいかな?ねえねえ、オカリナっぽくない?焼き物っぽいっていう感じ?
西野: (無視)入社したときも衝撃でしたね。朝礼で私が紹介された流れで「新しく入る人もいれば、去る人もいます。二代目支配人が交代します」と。それくらいいろいろ混乱してましたね。・・・その後も毎日がびっくりするようなことだらけで話は尽きませんがこれくらいにしておきます。
山根: 激動の黎明期から関わって居られるということですね。ホールを手探りで一から作るということ、その難しさが垣間見えるようでもあります。ブルブルッ。
西野さんはまさに宗次ホールを知り尽くしておられると言ってよろしいのでしょう。いや、それのみならず栄のヤバさも知り尽くして居られることでしょう(※注:栄は名古屋最随一の繁華街。宗次ホールは栄4丁目にあります。なお「さかえ」って読んでください。「ソウジ」じゃないし「エイ」でもないんで、そこんところよろしくおねがいします。よそ者なのに偉そうに申し訳ありません)
栄と言うと2008年、宗次ホールでのコンサートの後、クス弦楽四重奏団と食べに行った《世界の山ちゃん本店》の手羽先が忘れられません。だってあいつら「チキンウィング!!チキンウィング!!アラッタブ(a lot of)・チキンウィング!!」ってうるさかったんだもん。一体何人前頼んだか忘れちまったよブツブツ。
コンサートはどうやって決めているの?
脱線しました。コンサートを決めるときはどういうことを考えて決めていますか。コンサートを決める際は何を重視していますか。
西野: 宗次ホールというのは300席規模の、それなりにしっかりとした施設ではありますが、原点は宗次さん家のホームコンサートなんですね。だから、基本的には「このコンサートを企画すると、宗次オーナーが喜びそうだなぁ」ということは考えますよね。
山根: おおー、そういう視点があったということは存じませんでした!メモメモ。
西野: あ、誤解がないように言うと、オーナーが喜ぶことが全てではなくて、もちろん他にも様々な要素があって企画は決まっていきます。ただ、その決定に関わる判断材料のひとつに「ホールのオーナーの趣味」という項目をもっている音楽ホールの企画担当者ってのはきっと珍しいと思います。
山根: いや、なかなかないです。
西野: あと、これはたぶんどこのホールの企画担当者の方も意識していることだと思いますが、そのコンサートをいまこのホールで行う必然性、でしょうか。
音楽事務所経由だったり演奏家本人から直接だったり、毎日のようになにか演奏会ができる可能性はないか、とお問い合わせを頂戴します。「いつでもいいです、なんでもやります」みたいな打診もありますが、それってフレキシブルでいいじゃない?と思われそうですが、かえって公演実現まで時間がかかるかもしれませんね。
山根: 激しく同意しますが、解説をお願いいたします。
西野: 例えば「Aさんというピアニストが、急遽某オーケストラに呼ばれて日本に来ることになったんだけど、その機会にリサイタルもできない?日程はピンポイントでこの日しかなくて、プログラムはこれしか無いんだけど」というときのほうがいいんです。やるかやらないか、だけですから。そしてそういう話に乗るというのは、他のホールでは絶対にやれないことだからこそ、当ホールで取り上げる必然性が既に生じている、と感じるのです。
山根: これ、自分も前職(武蔵野市民文化会館)でよく同じようなことが時々ありましたね。「いつでも何でもいいんだけどコンサートをやってくれませんか」よりも、この日これしかない!っていうときのほうが決まったりもしますよね。しかもスパッと一瞬で。もちろんそればかりではないですけれどもね。
西野: 予算なんかの都合もけっこうあります。
あと来場者数については、もちろん完売を常に目指すことは大前提ですけれど、それだけでいいわけでもなくて、むしろ来場者が少なくても「良いコンサートだった」と語り継がれるようなコンサートにしていくこともやはり大切。過去にはお客様26名ということもありましたね・・・。たぶんお越しになられた方は記憶に残ったんじゃないかな。その点、オペラアリアをずらっと並べたような声楽リサイタルはある程度客席が埋まって 「ブラヴォー」「ブラヴィー」の声がかからないと盛り上がらないようなところもあって 、チケットが売れていないとピアノとか室内楽とか他のジャンルよりも心配になりますね。
山根: いいコンサートと、客席が埋まるコンサート、というのは残念ながら一致しませんしね。それに客席を埋めるのは本当に大変ですよね。世界中のコンサート主催者がずーっと頭を悩ませて来た問題でもあります。どうやったらチケットが売れるかっていうことは、コンサートの内容と同じレベルで、もしくはそれ以上に考えますよね。
ホールで働くことの醍醐味、しんどい点
ホールの仕事で一番好きなところはどこですか。ホールで働くことの醍醐味を教えて下さい。
西野: あれこれ考えてみたのですが、どこ、と特定するのは難しいですね。醍醐味かぁ。なんだろう。でも好きであることは間違いないですね、この仕事が。
山根: 好きじゃなきゃ出来ない、っていうたぐいの仕事の一つかもしれませんね。拘束時間も長いですし・・・。反対につらいな、あるいは特殊だなと思うところはどこですか。
西野: この仕事を初めて最初の1年位は本当にキツイなぁとおもっていましたね。あまりにも経験がなかったし、それに対して任された仕事は重たかった。
まずはということでチラシの挟み込み、もぎり、ドリンクコーナーでコーヒーを淹れていたりしたのですが、 入社わずか3ヶ月目で突然前任者が退職することになり、まるでやったことのない企画を任されたんですよ。ストレスから歯ぎしりがひどすぎて前歯の髄が見えるまですり減ってしまいました。・・・ま、そういうことはどの仕事でもあることかもしれませんが。
山根: いやあんまりないわりと壮絶な話のようにも思いますよ。どういう状態ですかね。その歯は治ったんでしょうか。インプラントならきぬた歯科がおすすめですよ。あ、すいませんなんでもないです。
西野: 一応セメントで盛って埋めてして直してもらいましたけど、今でもやっぱりストレスがたまるとうずきますね。歯は大事ですね。山根さんは歯でのお悩みありませんか?
山根: 歯は幸いにしていいんです。若い頃から虫歯もありません。賞状をもらったこともあります。しつこいですけど「きぬた歯科」っていうインプラント専門の歯医者さんが東京の西八王子駅前にあってね、その看板が東京のあちこちにあるんですよ。「インプラントはきぬた歯科」っていうやつです。見たことある人多いと思うんですよね。気になってしゃーないんっすよ。「虫歯治療もきぬた歯科」とかいう看板もあって、そこにはタヌキの絵が書いてあったりして、 きぬた を逆さまから読んだら たぬき になるんだ、うまいな・・・うまくないわ!!って突っ込みを入れるところなんです、そこは。
きぬた歯科を知らない方は最近のではデイリーポータルZのこの記事とかを爆笑しながら読まれるといいと思いますよ。ものすごく勉強になるし参考にできる部分もありますよこれ。
西野: 特殊という意味では、コンサートは終演してそれで終わるんですけど、ホールの運営ってのは終わらないっていうこともありますね。宗次ホールは特に公演が立て込んでいるから、またすぐ次の公演があるし、振り返る余裕もない、演奏者と打ち上げに行くとかほぼ無い。
山根: むしろ毎回打ち上げに行ってたら死にますね。私もホールで働いていた時はよほどのことがない限り打上げとか行ってませんでしたね。自分たちが独自で招聘したアーティストだったとしても。「終演後にディナーとかレセプションとかはないの?」って聞いてくる人もいましたが「ないです」って常々言ってました。そういうと微妙な顔をする人もたまーにいるんですけど。すいません。
ただ、2015年に再会したクスQとは吉祥寺の鳥良商店に行ってまたまたチキンウィングを食べまくりましたけどね。不思議ですよね、7年も経ってるのになんだかみんな昔のまんま、そのまんまやなっていう感じがしてね・・・。チェロの兄ちゃんは交代してましたけど。や、それからまた5年が経ってしまっていますね。早いわー。
西野: なんていうか「ずっと文化祭をやってる」ような感じですかね。そういう意味では、わかりやすい達成感というのはあんまり感じられないかもしれない。それは自分が頑張ってないからかも知れないけれど。
山根: 達成感という意味ではそれはなかなか感じにくい職業ですよね。次々とコンサートがある場合は特にそうかなと思います。はい次っ、はい次っ、ってちぎっては投げちぎっては投げ、みたいな。チケット発売日にチケットがたくさん売れたら嬉しいですけど。今年間何公演ぐらいされているんでしたっけ。
西野: 2019年は約370回。その前が400回を超えてました。いま調べてみたら、2013年に365回を超えてからはずっと1年の日数以上ですね。
山根: ぐはっ!!えーと本当にこれ、理解できないですよね。ウソつけって思った人もいると思いますし、そうでなくとも皆さんの頭にはてなマークが浮かんだと思うんですよね。なんで一年の日数より多いの?・・・これはつまり、昼夜2回公演とかそういう日もあるってことです。もちろん昼夜全然別の公演です。
ここ、気絶するとこですよみなさん。卒倒してください。せーの「多すぎるやろ!!」・・・倒れる前にはちゃんと座布団とかを床にしいて頭を守ってください。
お客様に言われたら嬉しい一言
ところで、お客様に言われてうれしい一言はありますか。私は「今日は楽しかったです」ってニッコリ笑って言われるのがすごく嬉しかったですね。
難しい顔をして「あの曲のどこそこの解釈が斬新で素晴らしくて・・・」とかやられると閉口しちゃう。シンプルにすっと「楽しかった」とニコッと笑って言っていただけることがなんと嬉しかったことか。
と言いつつも自分が逆の立場だったら「ねえねえホロヴィッツだったらあそこはなんたらかんたら」ってやっちゃうんだろうなとも思っちゃうんでアレなんすけど。
西野: 「お客様」が指すのが聴きに来てくれた人々のことだとすると、実はあんまり嬉しいとか嬉しくないとかは無いんですよね。もちろん常連のお客様たちから後で「あのコンサート、すごく良かったです」と言われると嬉しく無いわけではないですけれど、それは演奏者と聴衆の間で起こった化学反応の結果であって、私はそれをただ眺めていただけですからなんか褒めていただいたりお礼を言われたりするようなことをしたような気がしないんですよ。
山根: なるほど。
西野: むしろ演奏者が喜んでくれるほうがダイレクトに嬉しいかな。私にとっては演奏者もまた「お客様」なので。
山根: そういう視点は公演をプロデュースする側ならではですね。
西野: 例えば私がキャスティングした結果、初共演の演奏者それぞれに「素晴らしい出会いを与えてくれてありがとう」と言われたりするとやっぱり嬉しいです。
逆にキャスティング大失敗ということも仕事を始めた頃はあって、そういうときは本当に苦しい思いをしました。
山根: あーそういう失敗は私もあります。ありますね。具体的な事は言えませんが、舞台袖であー、やばいやばいやばい、早くこのコンサート終わらないかなーってずっと頭抱えて貧乏揺すりしてたこともあります。貧乏揺すりは品がよろしくないのでやっちゃいけません。そういう時に限ってまた「今日は素晴らしかった」なんてお客様から言われたりもするんで、いやいや、っつって穴があったら入りたくなることもありました。
西野さんは日本語以外の言葉は話せますか。外国人アーティストとのコミュニケーションで困った事はありますか。そのときはどうやって対処しますか。
西野: 日本語も怪しいですけれど、英語はもうしどろもどろです。一応ドイツ語を第一外国語として学ぶような学科にいたんですが、それこそもう忘却の彼方で。コミュニケーションに困ることも当然あります。うーん。でも今いろいろ振り返ってみると、そこまで深刻な問題に発展したこともないような気がします。不思議ですが。それだけ相手が我慢してくれているのだと思いますが。
インタビューの後半は以下よりお読みください: