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業界人突撃インタビュー第4弾 東京交響楽団 事務室長 辻敏 氏【後半】

この投稿は辻敏氏インタビューの後半です。前半はこちらからお読み下さい

ジョナサン・ノット監督の再登場はいつ頃になりそうか

●ファンの皆様はノット監督の登場も待っておられると思うのですが、監督は来日についてどうお考えなのでしょうか。

――いやもう、監督は7月の定期、来るつもりでいますよ。今後のプログラムのアイデアもああでもないこうでもない、と話しあっていますね。

●おおおおそうなんですか。

――ビザは6月末まで一切出ないみたいですが、今後の状況がうまくいけば7月から基本的にビジネスを優先的に、段階的に解除していくそうです。2週間待機っていうのも、乗る前と着いた後に PCR 検査をして、どちらも陰性ならなしでOK、ということになりそうだ、とも聞いています。

●それははじめて知りました。もしそうなるとすると、かなり思い切った緩和ですね。

――うちはジョナサン・ノットが音楽監督で、彼が来日できないと新入団員のオーディションができないんですよ。オーディションができないってことは音楽家の新規雇用の機会も作れない。ただ指揮しているだけでなくて音楽監督は人事権も持っているので、彼がいないと最終判断ができなくて困るんです。単に来日が出来ないからコンサートが出来ない、というだけではなくて、来日してもらわないと運営自体がうまくまわらないんですよね。

なので、ビザを段階的に検討するところに来れば、優先的に考えてほしいというような内容の手紙をね、大使館に担当者から送ってもらいました。ちょっとでも印象に残るように、わかりやすく。

・・・細かなことやってますよね。相手も人間だから、ただ機械的に申請するんじゃなくて、なんでこの人の来日が大事なのかっていうのを知ってもらうっていう努力をしとかないとだめだよなーって思ってるので。わかりやすい文章で。もうそこら辺は細かく、しつこく、やる。諦めないでやる。

公演延期の大変さ

●求め続けなさい、されば与えられん、ですね。聖書の言葉がスラスラ出てくるなんて私もなかなかアレですね。主催公演はどうされるのでしょうか。この間、できなかった公演もありますし、これからもやっぱり出来ない、という公演が出てくると思うのですが。

――延期が基本ですね。もうすでになんか延期もできないくらいスケジュールがいっぱいになってきちゃっているんですけど。主催公演、特に定期公演はリハーサルもたくさんやってるから、日程調整が大変です。なるべく指揮者もソリストも替えないでやりたいわけですから。これは主に自分がやっています。ホールやなんかの日程の押さえ、って一口にいいますけれど、ものすごく大事なのでね。簡単なことなんだけど、すごい大事だから。

あの、自分が梶本にいたころも、最後までホールの押さえは私よりもずっと年長の先輩がやってましたから。相手もこの人から頼まれたら忘れられない、っていうね。東響さんから頼まれてたの忘れちゃってた、って言われるのが一番まずいから、やっぱりそれは若い人に「調整しといて」っていうわけにはいかない。非常にストレスフルだったけどやりました。それが一番時間と手間はかかったかな。

だいたい日程の押さえっていうのは、言った順番にやってくれるはずだけど、ベルリンフィルと東京交響楽団と同時に電話かかってきたらやっぱりベルリンフィルだなってならないようにしないといけないから。

オーケストラ公演再開へ向けて

●いつぐらいから実際には動き動きそうでしょうか

――6月中を目指しています。

●それは決定ですか。

――まだです。

●まずはどういう曲をやるのですか。やっぱりちっちゃいとこですか。

――川崎市の場合、いまのところ50人までしか集まっちゃいけないっていう規制があります。50人までの編成で、まずはオンラインで、最初は名曲ならべた感じにして、その次は弦だけで、その次に管と打楽器とかも徐々に増やして、みたいに徐々にクレッシェンドしていって、それでお客様を入れるコンサートへ、6月の演奏会へとつなげていくっていう流れができればと思っています。

東京都の場合はステップ3になったらお客様は1000人までOKことになっていて、ステージ上の縛りはない。十分な間隔をあければいいって言う公文協の指針に従って、1.5 m程度の距離を保ちながらやっていくっていう感じで考えてますね。

●6月の定期の客席はすでに埋まっていましたか?チケットは売れていましたか?

――いや幸か不幸か、4月頭で券売がぴたっと止まっちゃったから950とかなんですよね。ちょうどいいところだったかな、みたいな。

●密にならないように空席をほどよく空けなければなりませんよね、そのへんはどうなるんでしょうか。

――それはいま会場の方とも一緒に考えています。座席変更をお客様にお願いするのか、実際にどうやってチケットを割り振るのか。会場でチケット交換するとなったら列ができて密になったらまずいしな、とか、変更後の座席が気に入らないということなら払い戻しにするのか、とか、いろいろ考えてます。

歌ものを今後どうするのか

●歌ものが出来るようになるのは何時ぐらいになるでしょうか。今年の第九はできるんでしょうかとかそういう話もあります。

――地方でやっている第九は厳しいんじゃないかなと思っています。地元のアマチュアコーラスとの共演の場合、夏から合唱の練習始めなきゃいけないし、そもそも練習ができるのかどうかという問題も関わってきますんでね。

3月の公演を延期したマタイ(受難曲)が8月にあるんですけど、マタイの場合は一人一パート、合計8人で歌えなくはない。その人数でということも考えています。場合によってはステージにあげないでバックステージとかで歌ってもらうとか、音楽的じゃないって言われるかもしれないけれどマイク使うとかも、場合によっては。ちょっと周りの様子も見ながらどういう対応をしていくのかって事を考えたいと思っています。

●マイクを使うとなると、いろいろ言う方もおられるんじゃないでしょうか。

――去年「グレの歌」(シェーンベルクの超巨大作品)をやったんですが、語り役のトーマス・アレンはマイク使ったんです。だけどマイク使ったっていうのに気づいてないお客さんもいっぱいいました。「マイク立ててたけど結局使わなかったんですね」って言われたぐらいですから。マイクも今は性能がいいので、それも選択肢として考えています。言われないとわからないくらいのクオリティなので、今こそ積極的に使っていくべきなんじゃないのかな、と。

●9月にミラノスカラ座がヴェルレクと第九をやるって言う話ですが、ご存じですか。

――ききました。どういう形でやるんですかね。うまくいけばいいなと思っていますけれど、、、あれはなりゆきをみようかなと思います。

●それに対してアメリカは悲観的で、20/21年シーズンはもう無理だろうみたいなことも言ってます。それでは生き残れない団体もあると思うんですけどね。

――ボストンシンフォニーですら給与カットしてますからね。

●コロナ後のコンサートについては、これが正しい、というものは恐らくないですよね。その地域によって状況も違うし、人の受け止め方、考え方も驚くほどに違うし、ともかくやってみなきゃわかんないってことでしょうか。

――増えたらちょっと控える、控えて治まったらまたやる、またひょっとしたら感染者が出るかも・・・。その小さい波を繰り返しながら、でしょうか。大きい波が来たらひょっとしたらまた緊急事態宣言が出るかもしれませんし、覚悟はしながら、うまく付き合っていくしかないんじゃないでしょうか。

そのうちワクチンができて、ワクチンじゃないにしても、ちょっとずつなんか症状はこうなんだとかいうのも分かってきたようですし、何もわからければすごく心配だけど、少しずつ分かってくれば対処法が分かる、というか・・・。対処療法がある程度確立されていけばいいなと思っています。

●かかったら、あるいは、最悪の場合はどうする、というリスクが皆の一番の焦点で、そこをどう考えるのか、どうケアするのかが難しいと思っています。例えば、東京交響楽団は人の生命をどう考えているんだ!という反応が出たとき、どういう対処をされますか。これ、と言った対応策はありますでしょうか。

――・・・・ない、ですね。感染者が出たら、お客様、あるいは団内に出たらしばらく活動は出来ない。それは確かです。そのリスクはゼロじゃないです。でも、世の中は緊急事態宣言をといて再開していこうと、電車も皆さん乗ってください、と。みんなで共存していくしかない、そう言う動きにもなっているわけです。

だからといって乱暴になるのはだめですけれども、最善の対策を施しながらやっていくしかない、ってことだと思います。

●このたびは色々と語っていただき、ありがとうございました。

逸話のコーナー

ところで辻さんはこの業界では、梶本音楽事務所(現KAJIMOTO)が出発点だったそうですが、当時の逸話を1つ2つ教えて頂けませんか。

――そうっすね、、、、、。事務所に入りたてのときのことですけど、電話取った時に「もしもし梶本音楽事務所です」って言ったら、いきなり切られたんですよ。それで社長が、あ、初代の梶本さんね、社長は大阪に住んでたんだけど、社長が東京事務所に出てきた時、社長室に呼ばれて「こないだ電話取ったの、あれ、辻くんやな」って言われて。「はい」「君、もしもしって言ったやろ!!」ってこっぴどく怒られました。

「はい梶本音楽事務所です」って言えばええ!もしもしって繰り返す時間がもったいない!!「きみがその『もしもし』って言ってる間にわしの10円玉が1枚落ちるんや!!」

それを電話で怒ると時間がかかるからってすぐ切っちゃうわけです。で、手帳に書いてるんですよ。「辻くんの電話の取り方」ってね。メモられてるわけです。

社長室に呼ばれて30分ぐらい説教されるわけ。もうこわいこわい。社長が帰るって言って東京オフィスを出るでしょう。しばらくしたら東京駅から電話かかってきて「忘れ物したから取りに帰る」って言ったらみんな、しゃーっと背筋伸ばして仕事してましたよ。

●すげー。私は自宅の2匹の猫に右へ倣えしてしまって、ずっとひどい猫背なので・・・。

あと相手のフルネームを書いていない封筒を見つけると全部机に叩きつけるんですよ。そこら辺は徹底的にやられましたよね。

●怒られまくってたんですね。先輩方もこわかったですか。あの方とか、この方とか(具体名につき自粛)。

――いやむしろ先輩方はクッションになってくれてました。社長と喧嘩してくれる先輩もいてね。クッションがあったから助かってたんだと思います。

・・・でね、1週間ぐらいしたらまた社長室によばれるんですよ。何かと思って行くと、「辻くん君こないだ電話でもしもし、って言ったやろ!」って怒られるんです。「社長すいません、それ、もう先週怒られました」って。「手帳のメモ、チェック付けてもらえませんか」と言ったことがあります。おおそうか、って。・・・27、8歳ぐらいのころだったかな。僕の世代まではそういう、社長に叩き込まれたみたいなところはありますよね。

●次世代にもその精神を伝えようとか同じ様に育てようみたいなことは思わなかったのですか。

――そういうのはないっすね。・・・基本的には石橋を叩いて叩いて他の人に渡らせる感じの人でしたけど、本当に行くって決めたら徹底的に行くところは凄かったですよ。ホロヴィッツで5万円のチケット売るなんて当時の状況で普通できないすよね。あとミュンヘンオペラ。社運かけてやる、マイスタージンガーをルネ・コロとヘルマン・プライとペーター・シュライヤーでやる。社運を賭けてやるので二度目がないかもしんないから最高の歌手でやるって言って。ああいう時の思い切りはすごい。

●なるほど。

――めちゃくちゃケチでめちゃくちゃ細かいところをつつく人なのに、勝負に出るときはめちゃくちゃ勝負にでる。あれがすごったね。

●そういう魅力がないと社長ってできないんですかね。人がついて行きませんかね。

――そうかもね。でも、もしもしは忘れらんないな・・・。

●東京交響楽団の時代の逸話お願いします

――面白い話、べつにないかな。

●ズコっ。

――ノットに音楽監督 やってもらおうと思って、いろいろその反対なんかされたようなこともあったけど思い切ってよかったかなと思いますね。

●一回だけでしたもんね共演したの。

――そう。僕は狙ってた。共演する前から。3年ぐらい前から。

ほかに呼んだ人でいい人がいて、それは内緒だけど、この人にしとけば、みたいな空気もあったんですよね。当時の評議員なんかからも言われたけど。10月(にノットが来る)まで待ってくださいって言ってました。

レパートリーって大事じゃないですか、その人が持ってるレパートリーって。スダーンがやってたことの先もやれて、スダーンがやってたこともやれるっていう人じゃないと面白くないと思ってたんですけど、ノットのレパートリーはバッチリはまるな、と。

梶本時代から知ってたから。ベーシックなプロから近現代の面白いものまで、ブーレーズだとかポリーニとかと似たような雰囲気のね、もちろん彼独自のものではあるけど、そういうレパートリのものやってたから、このレパートリーが絶対面白いと思ってた。

●それではノット監督の後、というのは?

――おぼろげには考えてますけど。まだわかんないな。ちょっと若い人でちょっと違うレパートリーの人じゃないと面白くないと思ってるから。同じこと繰り返してもやっぱ進歩になんないから、オーケストラは。

(了)

https://mcsya.org/interview-tsuji-tsutomu-tokyo-symphony-orchestra-1/