この投稿は梅岡俊彦氏インタビューの後半です。前半はこちらからお読みください。
大雪で高速道路に閉じ込められる
――雪でコンサートに間に合わなかったことがありますね。
●あー何年かまえに大雪が降ったときですね。私もあの日はヴィオラ奏者のニルス・メンケマイヤーって人と一緒に高崎に日帰りで行ってたんですけど、戻ってきたら中央線がアウトで、当時住んでた武蔵野市の自宅まで帰れませんでしたね。丸ノ内線で荻窪まで行って、そこから歩いて帰りました。6キロ。雪まみれになりながら2時間以上。
――御殿場から先が行けなかったんですよ、2日間通行止めになってね。フライブルク・バロック・オーケストラのツアーで、都内の最終公演に向かう途中でしたね。間に合わなかったですね。夜が明けたら大丈夫かなとおもったけど、全く目処がたたなかったんで「現地でなんとかしてください」って招聘元の社長に電話して。たまたまチェンバロのあるホールだったんで、それを使ってもらうことにしてなんとかなった。出演者もぎりぎりで到着したらしいです。
●出演者は都内に泊まってたんですか。
――いやそれが前日の夜は京都公演で、彼らも移動があぶなかった。本当は伊丹から飛行機移動だったんですけど、飛行機が欠航になっちゃってね。たまたま僕が「コントラバス持ってってあげるわ」って車に積んでたから、飛行機は欠航になったけど新幹線に乗れたんですよね(注:コントラバスのハードケースは新幹線に入らない)。だからコントラバスも急遽借りてもらったんですよ。
結局、高速出るのに3日かかりました。私はたまたま駿河湾沼津サービスエリアに停まれたんで食事とかトイレは大丈夫だったけど、路上の人はトイレ行くだけで何キロも歩いたみたいです。
それで東京の公演が最後だったので、翌日みんな帰国するわけでしょう。コントラバスも帰国便に載せないといけないから、すぐ空港に持って行って!と社長に言われたんですけど、それも間に合わなくて。それこそ東京から御殿場までびっしり何万台もたまってたから全然動かない。結局、数日後の飛行機に載せましたね。追加料金は幸いかかりませんでした。
●最近は中止も増えてますよね。天候でも公演中止になるし、コロナでも大変だし。
――去年のレザール・フロリサンも危なかったですよ。台風でね。名古屋までの移動も大変だったし、名古屋で本番やってる最中にまだ東京に移動する算段が立ってませんでしたからね。
あと北海道からの長距離フェリーが悪天候で欠航になったことがあります。しょうがないので函館まで行って、青函連絡船に並んで乗りました。青函連絡船はピストンでいっぱい運行してるけど、なんせ小さくて車が30台ぐらいしか乗れないんですよね。
フェリーで鹿児島0泊っていうのもやったことがあります。兵庫公演の後すぐに神戸からフェリーに乗って朝宮崎に着いて、鹿児島まで走って、昼公演して、そのまま積んでまた宮崎に戻ってその日のうちにフェリー、で翌日朝神戸に戻りすぐに東京へ移動でした。
車はずっとハイエース、マニュアルです。
●なるほどやっぱいろいろ強烈だ・・・。ところで楽器を運ぶ車はハイエースですよね。ずっとハイエースですか。2トントラックとか考えたことはなかったんでしょうか。
――ずっとですねえ。ハイエースはキャンピングカーみたいに寝られるし。頑張ればチェンバロは4台入りますし。
●4台!フォルテピアノが混じっても4台いけますか?
――そうなると3台ですね。なんせハイエースが一番使いやすいんですよ。内装にあわせていろいろ台をつくったりしているんで、同じモデルの間はそのままいけるんですよね。それがかわると困っちゃいますよね。モデルチェンジ、噂があるんでね・・・。
●でもって、マニュアルですよね。いっぺんだけ乗せてもらいましたけど、えっマニュアル?って思わず口走ってしまいました。
――そうそう。オートマも乗れますけど、なんかいやですね。マニュアルって言ったらディーラーの方に「お好きですね」と。
●こだわりですね。私マニュアルで坂道の縦列駐車は絶対に出来ないっていう自信があります。年間どれぐらい走ってますか。
――今だいたい年5万キロ、最大で年8万キロ行きました。東京―神戸を月に5往復とかしてることもあります。若い頃はね、高速はそれこそ目をつぶってでもいけた。だから疲れもなし、みたいな。
●あぶないあぶない。
――あのころは中央道も好きで通ってましたね。わざわざ回ってましたもん。景色が綺麗ですしね。山も、諏訪湖も。いまはもうあの坂道とかしんどい。燃費もあるけど。
●途中であちこち立ち寄ったりとかするんですか。
――昔はストイックに走ってましたけど、いまは途中下車の旅ですね。私の趣味は食べ歩き、おもにお蕎麦、B級グルメ、あと湧き水マニア、あと温泉。お蕎麦はみなさんこだわりがあって違いがあって面白いですよ。
●そばといえば島根かどっかの山ん中にたしか伝説の巨匠いますよね。
――あー・・・・達磨かな。高橋名人ね。あそこまでストイックなんよりかは、なんかおもろいんちゃうけ、みたいな店によく行きますよ。うどんも好きですし、讃岐で一日8軒行ったこともありますよ。王子ホールのKさんと。
●いやいや糖尿なりますやんそれ。
――全国どこいっても面白いですね。旅の多い仕事は、寄り道ができるのが好きです。よろこんであちこち行きます。30年前は室内オケで全国回る、みたいなツアーがあってね。いっぺん出たら1ヶ月帰ってこない、みたいなね。今はもうそんないですよ。
●今はツアーでも本当に公演回数は少ないですよね。3回とか4回とか・・・。
――神保町の古本屋とかに昔のツアーのプログラムブックが平積みになってたりとかしますけど、スポンサーもすごかったし演目もすごかったですよね。えっ、こんな難しいのでこんなに公演回数あんの?みたいな。それでプログラムブックはハードカバーだったりしますしね。めちゃめちゃ部数が出る前提ですよね。
コンサート、減っちゃいましたよね。特に地方はね・・・。
●本当に・・・・。走っていて好きな道とかありますか。
――どこでも好きですよ。太平洋側が、震災後に防波堤つくっちゃって海がみえなくなってる場所は残念かな。
あと温泉は奥深いですよ。いっぺん新潟で、石油掘ろうとしたら温泉が出ちゃったんでそのまま温泉にして営業しているとこに行ったことがありましてね。一日灯油を頭からかぶったみたいな匂いがつきまして閉口しましたね。でもそれがいいんでしょうね、地元では人気みたいですよ。全国に何軒かあるみたいですよね。油の。
●かわったところ、いっぱいあるんですね。
――偏屈なおっちゃんがひとりでやってるしなびた温泉、むかしは湯治場でさかえてた、みたいなところけっこうあるみたいですよ。行くと「おー客がきたな!」っていって昔話20分ぐらい聞かされて、それからやっと入れる、みたいな。最近なじみになったところは、行くとたけのこめちゃくちゃくれたりしてね。
二人でいっぱいの風呂なんですけど、4時から6時までは女性っていうから、それ以外は男性ですかって聞いたら「混浴」。一回だけ一人かちあったことがあって、男の方が入ってこられたんですが、背中にペインティングがいっぱいあってね、早々に出ました。混浴よりも緊張したね。
●お友達になって意気投合とかした方が、あとあといいことあったんじゃないですかね。
――いやいや。でもね、青森だけはまだ行ったことがないんですよ。あそこだけは縁がないんですよね。それが残念ですね。全国制覇できてない。岩手秋田は行ったんですけどね。
所有楽器は20台ぐらい。温度湿度も完全管理で保管。
●そうですか。青森にもご縁ができるといいですね。ところで楽器は何台ぐらいお持ちなんですか。
――楽器は20台ぐらいもってて、フォルテピアノ3台、オルガン1台、チェンバロはトータル15台ぐらいじゃないかな。一部リースしてたりするんで、すぐにレンタルできるっていうのは10数台ですけどね。いや一人でやってる台数じゃないですね。東京には6台置いてますね。
●20台ぐらいって、わりとアバウトですけどいいんですか。ウェブサイトに載ってないのもありますね。んでもってあの部屋(東京のスタジオ)に6台入ります?
――入る入る。立ててるけどね。
●あの部屋って、広さどれぐらいでしたっけ。
――12畳。
●立てたら6台入るんですか。
――入りますよ。でもまあ楽器はなんとなくまんべんなく全部使ってますね。順番に出てっている感じしますね。そうは言ってもあまりサービスはしてないんで。自分はもう秘密結社でいいんですよ。知ってる人だけにしかお貸ししません。
●またまた。お部屋の温度湿度はやっぱり気をつけて管理されているんですか。
――うちの売りはヨーロッパと一緒にしているっていうのなんです。温度は23度、湿度43%。これがヨーロッパと一緒で、維持すんのはなかなか大変。でも除湿できるエアコンでわりとなんとかなりますね。湿度も選べるエアコンがあるんです。ダイキン製の。普通のエアコンで除湿って書いてあるやつは温度下げてなんとなくひんやりさせてるだけで、別に除湿してるわけじゃないんです。そのダイキンのやつはちゃんと除湿用に別の管があります。高いけど普通に家電量販店で売ってます。それと24時間つけっぱなしにしていると、意外と電気代かからないですよ。
●それはいいますよね。エアコンがぶっこわれたらどうしましょう。
――そら慌てますね。すぐ書い直しですね。もう今すぐ持ってきてー、みたいな。何代かそのエアコンを使ってます。
ピアノはまだいいんですけど、チェンバロは温度湿度が変わったらすぐ使えなくなります。トップのプロから「この楽器は調子ええな」って言ってもらわないといけませんから。
現場では状況にあわせ臨機応変に。
●温度管理と言えば、ホールの照明も段々とLEDになってきましたけどやっぱり違いますか。
――ノウハウが変わりましたよね。いちから作り直しているところですね。照明で舞台は熱くなるっていうが前提だったのが、熱くならないでしょう。冬、あっためて欲しい時にあったまらないっていうのは、LEDの弱点ですね。だからどうやって対応するかのノウハウづくり。
あとホールのスタッフさんと仲良くなって、話が何でもできるようにしないといけないですよね。相手にこっちの希望を伝えたときに「うん」て言ってもらうためのコミュニケーションも技術ですよね。それが出来たら調律は半分以上できたようなもんですよ。
●私も若い頃言われましたよ。ホールに着いたら事務所行くのは後でええから、まず舞台の責任者探して、でかい声で挨拶しろ!って。
――舞台さんにかわいがってもらったらね。そこは愛嬌じゃないですか。幸い、自分も歳とって来たんで、話はしやすくなってきましたけどね。
●指揮者といっしょですね。
――でも海外は全く違いますよ。カルチャーが。そういうところで自分のしたいことをどうやってするかっていうのは勉強しましたね。鈴木雅明さんとあちこち一緒に行かせてもらったんですが国によっても違う。
とある先輩の方から「明確な指示書は出すな」とアドバイスもらって行きました。「これじゃよう判らんって言うようなラフスケッチにしとけ」と。そうすると舞台の責任者が最後までいてくれる。明確すぎると、指示書のとおりやるだけやって責任者いなくなっちゃって、あとで問題が起こった時に現場でだれも判断できなくなる、とかね。
●なるほどね。
――チェンバロから弾き振りする、っていう時に「もっと高い椅子がほしい」っていうリクエストが出たら事務所から肘付きの事務椅子出してきて、ほら、高くなるだろ、っていうのもありましたね。あれはまったく我々日本人とは違いますね。気遣いっていうのがないっていうかね。
●日本来たらみんな何でもやってくれるから喜びますよね。
――過剰なサービスね。先回りしてね。あれの逆ですから。とんでもないトラブルいっぱい体験したし聞きました。
ポジティフオルガン持ってきたけど、コード持ってくんの忘れたっつって帰っちゃったりとか、あと、ライプツィヒのゲヴァントハウスに鈴木雅明さんのBCJ公演で行った時、オルガンは触っていいけどチェンバロはホール専属の調律師が調律するので触るな、と言われたんですが、その調律師さんがリハ前に帰っちゃった。じゃあ本番は私が代わりに調律すると言っても「だめ」と言われてね。結局許可が出たのは本番直前でした。
●臨機応変が大事、、、なんでも即興、ですね。これ私の体験じゃなくて、カウンターテナーのアンドレアス・ショルから聞いたんですけど、カーネギーホールでは舞台さん以外の人は舞台関係に一切関わったらダメで、譜面台を動かすのもだめらしいですよ。ちょっとずらそか、と思って動かしたら「さわるな!!」どやされた、って笑ってました。
チェンバロかフォルテピアノを選べって言われたらどちらを取りますか。
――まあチェンバロですね。フォルテピアノっていうのは現代に近づいて来てるので、合理主義っていうか、そういう感じがしますよね。フォルテピアノも好きですけど。ショパンぐらいっていうか、19世紀の半ばぐらいから工業製品的な感じがします。
●ダブルエスケープメントなんかもってのほかですか。
――あれはあれで面白いですけど、ちょっと違いますかね。
ちょっとだけ調律の話もしましょう
●好きな、あるいは得意な調律法は何ですか。そんなものはないですか。
――なんでもやりますよ。面倒くさいことを言ううるさがたもいっぱい相手にしてますしね。人によっては「今日はこれで」みたいなことを言う人もいますしね。
●すると調律法のぶっとい本とかを持ち歩いてたりするんでしょうか。
――自分はチューナー持ち歩いてるんで、データさえ貰ったらできるんですよ。あと僕はピアノあがりなんで平均律も好きだったりします。
純正が多いほうがきれいっていう信仰みたいなんもありましたけどね。古典調律が出回り始めた時、昔は純正が多かったっていう幻想があってね。「いまの調律法からより遠く離れた方が美しい」みたいな。でもそれだと転調ができないとかあるし、最先端ではバッハでさえ割りとゆるやかというか、平均律に近い調律だったんじゃないかって言われてますよね。そのへんの研究は日進月歩ですよね。
平均律クラヴィア曲集の表紙にぐるぐるマークがあるんですけど、あれが調律に関係あるって言った人もいますね。面白いからちょっとやってみて、意外と使えるな、と思ったりとかね。本当にそうなんかどうかはわからないけど、調律法としては優れているかも、みたいな。
ピアノで古典調律っていうのもあるけど、ピアノは3本弦なんで、うなりが、倍音が多いんで、チェンバロでは使えないぐらいにしないと違いが出ない。ヴェルクマイスターぐらいまで極端にしてやっとわかる、みたいな。
●実際ヴェルクマイスターでお願いっていう注文は個人的には受けたことがないですね。
――ほとんどないよね。
テリー・ライリーが来た時にオリジナルな調律でやったんですよ。本来は鍵盤の右の方が音高いのに、逆になってたりとかしてましたね。きれいでしたけど、聴いてる人は意味わからなかったかもしれませんね。
でもね、極端な演奏家はリハーサルしてて「ストップ、この音だけ1セント変えて」っていう人いるんですよ。1セントなんてほんと誤差の範囲ですけど。わかるんでしょうね。ピッチにしたってそうですけど、分かってる人は1セントの違いでもわかるっていう気がします。
●弦楽器の人は特に細かいですよね。ピアノは平均律だから気持ち悪いって普通にいいますし。
――いずれにせよ音楽家がそもそも何を求めているかっていうのをわからないといけません。僕はあらかじめ下調べしまして、CDとか聞いて、どういう調律を求めているのかなっていうのを知っておくようにしますね。
自主企画もずっとやってます
●梅岡さんは自主企画もいろいろされていますが、いつから始められましたか。どういった経緯で?
――神戸のころから、やっていました。鈴木雅明さんとか、鈴木秀美さんとか、寺神戸さんとルセのコンサートもやったことがありますね。そのころ関西で古楽をやるひとは少なかったので、人脈が後々になって繋がりましたね。最初はちっさいサロンでやってたんですがそのうち酒蔵で、イベントスペースにしたいからなんかやってくれと頼まれてやりましたね。
●酒蔵って湿気てないんですか。
――いや、木なので。反響はないけど、わりといい感じでできましたね。当時からホールでなくてそういう場所でやったほうが古楽に合うんじゃないかっていうのは感じてました。ただね、終演後にお酒が出てくるんですよね。振る舞い酒ね。試飲と称して飲み放題だったんですよね。でもベロベロに酔った人が居まして、それからは一杯だけにしよか、っていうことになりました。演奏家も呑み助でエンドレスに飲むっていうのもありましたし。
東京にきてからは目白の明日館でやるようになったんです。あんまりみんな使わないんですけど、雰囲気もいいし、音もなかなかいいし。大好きで20年ぐらいやってますね。こないだ長期の修復改修工事をしてまして、使用者代表で挨拶しました。
●そんだけ借りてるってことですね。あそこは近隣からのクレームないんですか。
――ないですね。ドラムとかは駄目みたいですけどね。
●コロナがあけてまた再開されましたが、今後もバンバンされるのでしょうか。
――蓄音機が好きで、蓄音機で音楽を聴くというシリーズもやっています。それから日本の古楽史についても研究会をやっていて、日本で初めてのチェンバロとか、初めてのチェンバリストについてなどを研究しています。その発表回をやはり明日館で8月29日(土)の15 時から開催しますので、よろしければこちらのページからお申し込み下さい。
http://umeoka-gakki.music.coocan.jp/99_blank006.html
●本日は長時間、大変興味深いお話をしていただきまして、ありがとうございました!身体壊さず、これからも素晴らしい現場に関わっていってください。
(了)