スイスのチューリヒで3年に一回開催されるゲザ・アンダ国際コンクールは今年の開催予定でしたが、、、、無事に行なわれていました。おお!
皆様はゲザ・アンダをご存知ですか。えっ、ご存じない?それはいけない。ハンガリーの偉人ピアニストで、今年生誕100年なんすよ。1921年うまれ、1976年死去。若くしてお亡くなりになったので、もっとずっと活躍をしていたらもっとずっと広く知られていたに違いない。私はゲザ・アンダのバルトークの協奏曲を聴いて育ったぐらいですから、ええ(おおげさ)。ほら、ブログを読み進める前にまずはこれでも聴いてウォーミングアップしてよ。
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番(ゲザ・アンダ、カラヤン指揮RAI国立響、1954年)
ハンガリーというのは不思議な国で、ハンガリー語はどこの言語とも似ておらず、人の表記も多くの西欧の国と異なり日本と同じ。なので、最近ではそれにあわせて表記する方法が流行っている。つまり、これまでの <名前・名字>ではなく<名字・名前>の順番で書く人も増えてきました。ジェルジュ・クルターグはクルターグ・ジェルジュ、ベラ・バルトークならバルトーク・ベラ、ゲザ・アンダならアンダ・ゲザ。Wikipediaみたらアンダ・ゲーザになってるわ。こうして慣れた表記がさかしまになっていますとちょっと居心地悪く感じちゃうんですが、慣れの問題なのでありましょう。
たとえば同じ韓国人でも巨匠指揮者はミュンフン・チョンではなくチョン・ミュンフンが定着しているが(名字はチョンです)、巨匠ピアニストのパイク・クンウーではなくクンウー・パイクと書きます(名字はパイクです)。さらに言うと音的には「コンウ・ペク」が近いらしいですが、もはや私はクンウー・パイクで慣れきっているので、そのままで行ってるんです。難しいものだ。なおクンウー・パイクは来月来日しますんで全員王子ホールに集結して下さい。韓国の至宝やぞ。バチクソうまいぞ。
話がそれました。
ゲザ・アンダ生誕100年という記念の年に無事に実施できたのは本当によかった。結果はファイナルは5日に行なわれた。優勝したのはアントン・ゲルツェンブルクAnton Gerzenbergという96年生まれのドイツの若者。24歳だ。おお!おめでとう!!
審査員は日本でもおなじみ、ひげのピアニスト、ゲルハルト・オピッツが審査委員長。以下ヘフリガー、フェルツマン、デ・マリア、チョチエヴァ、シェレシェフスカヤ、シーララ、カストロ、フィオーレ。この羅列だけで誰なんか全員言い当てられた人天才やわ。審査員全員のお写真はこちらからどうぞ。
ファイナルの動画がここにあるので、いつまで見られるかわかりませんが、どうぞ。一位のアントンの演奏は1時間45分すぎから。リストの死の舞踏とピアノ協奏曲第1番。
この会場はトーンハレマーグというホール(チューリヒの有名なトーンハレが改装中につきこっちで開催)。お客さんもけっこう入っていて、かなりブラボー合唱してるけど大丈夫か。ついつい不安になるのは本当にコビッドのせいです。