7月28日にキーシンの育て親、アンナ・カントールが亡くなりました。98歳。
ソ連が生んだスターにして日本でも絶大な人気を誇っているキーシン。不思議キャラのキーシン。ユニークな髪型、そしてあまりにも独特な経歴。なお、私はキーシンがおもちゃのチャチャチャを弾くCDを持っていますが、かなりレアなCDだと自負しています。
キーシンはほぼ一人の先生すなわちアンナ・カントール先生に学んだわけです。ツアーに出かけるときも母とカントール先生がいつも一緒、というのが定番だった(さすがにいまは一人でツアーに出ているときいています)
ピアニストのキャリアとして、ほぼ一人の先生にしか学んでいないというのは極めて独特。普通は複数の先生に習うものです。やはり、なんていうのか「セカンドオピニオン」じゃないですけれど、音楽には正解がなく、さまざまな人から学ぶことでより広い視点を持つことができるから。しかしキーシンはそうではなかった。例外中の例外。
カントール先生については「キーシンの先生」としか知られていませんが、どういう経歴を持っているのでしょう。1923年ユダヤ人家族のもとサラトフに生まれる。父はスターリンの大粛清の際に銃殺される。母はピアノ教師だった。才能ある子どものために1932年にゴリデンヴェイゼルらによって設立された「モスクワ中央音楽院」でケストナー、ボボヴィッチに学んだ。そののちモスクワ音楽院でアブラム・シャツケスに師事(シャツケスはメトネルの門下生)。
https://ru.wikipedia.org/wiki/Кантор,_Анна_Павловна
https://peoplepill.com/people/anna-kantor
そして1948年から1991年まで母校すなわち中央音楽学校で教えた筋金入りの幼児教育専門家でした。ちなみにソ連の女性ピアニストとして多くの方々の頭に最初に思い浮かぶ(と思う)タチアナ・ニコラーエワは1924年生まれ。カントールより1歳若い。ニコラーエワは1993年死去なんでもっと前の世代の方かと思うのですが、ほぼ同世代ということになる。
カントール先生がキーシン以外に育てたピアニストはというと、たとえばデミジェンコ、ベルリンスカヤ、スミルノワなどの名前が挙げられる。・・・・うん?これらの名前を聞いて「わかる」と言う人はあまり多くないかなと思います。超一級の面々かと言われると、少し弱いと言わざるを得ないのかもしれませんが、一人でも超人を育てたのだから、やはり記憶に留められてしかるべき存在だと言えましょう。
残念ながらカントール先生ご本人の音源や映像はなさそうなんですが、カントール先生の追悼の意を込めて、17歳のキーシンがカラヤンと共演した映像を:
カラヤンと会う下りはキーシンの自伝がめちゃ面白いのでおすすめ。おそすぎるテンポについても面白いことが書いてあるし、いきなりスピヴァコフが無断でやってきて通訳を務めたりとかしていて、スピヴァコフも興奮してたんやなー、と笑ってしまう。
今日はちょっといろいろな方のお名前がぞろぞろ出てきてわかりにくい内容になってるかもしれませんすいません。