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7月V.シェレポフ「よみがえるソナチネ、ソナタ再発見の旅」に寄せて

リュビモフと今年の始め電話で「DussekやKhulauなど全く見向きもされず、作曲家の名前すら忘れ去られたような状況でClementiが辛うじて、認知を得ていると言う昨今、ソナチネ・アルバムに収めるられている作品はハイドン、モーツァルト、ベートーベンも含めて、“子供の時弾いた事がある”と言う名目のもと、蔑ろにされている。これらの曲は珠玉の名曲とまでは言わないがSpotlightの当たってしかるべきもので、今一度再び立ち止まって原点に戻り見つめ直して欲しい作品群である」と意気投合した。

それならば7月に来日する彼の愛弟子シェレポフに頼もうと言うことになり、実現するサロンコンサートである。 使用楽器は、今年100年になる1924年製ベヒシュタインのセミコン。

未だ音響設計なる概念などない時代にこれほどの素晴らしいacoustic designを施せたのが不思議と思われる蒲田の御園教会。楽器と会場、奏者とこの3つの要素が揃う瞬間。どれ1つ欠けてもいけない。嘗て馴染み親しんだ名曲をもう一度。7月19日(土)の福知山は1901年生ベヒシュタインで音響設計はサントリーホールと一緒の永田音響設計です。

リュビモフとの電話で面白かったのは「知ってるつもり」の恐ろしさの話だ。大概、「その曲知ってる」、「弾いたことがあります」とくると、会話はそこで終わってしまう。悲しいことに実にそう言う会話は多い。イタリア古典歌曲が同じ様な道を辿りそうだったところ、昨今の古楽界が活性化したお陰でその運命を逃れた様だ。名曲とは皆が知っている曲の事なのか?誰でもピアノを学べば、一度は接するだろうこれらの曲を今もう一度聴いて考えて欲しい。あなたには何が聞こえますか?