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ベンジャミン・フリスのコンクール観

以前からずうっとベンジャミン・フリスに聞きたいと思っていたが、なんとなく切り出せないでいた。「なぜ年齢制限ギリギリになってコンクールに出て来たの?なぜもっと前にいろいろと出てみなかったの?」

私はブゾーニ国際コンクールで彼に出会ったのだけれど、コンクールでの態度や雰囲気もフリスは普通の参加者ではなかった。ピアニストがただコンサートに演奏しに来たと言う感じで、およそコンクール参加者独特の気迫も緊張感も全く感じられない。例の「ちわー水道管修理に来ました。水漏れですね。お任せくださいすぐ直します。大丈夫」のようなノリ出て来て、いつの間にかいなくなっている。

最近になって、上の質問をついに聞く機会があった。フリスが答えて曰く「自分の先生から『その年齢だともう先がないから、まあピアノでまともなキャリアっていうのは考えないで何でもやって食べていくこと考えたら』的な手紙が来て、まあ破門じゃないけどなんとなく厄介払いという感じだったんだな、これが。それで考えてみたら本当にやることがなくて。いやその時までその事実にすら気がつかなかったんだけど。それでまあ『コンクールでもやるか』と。そうは言っても年齢が年齢だけに、出られるものがほとんどなくて、その結果ルビンシュタインとブゾーニにしたんだ。」

もちろん小さいものをいっぱい受けるって言うこともできたんだけれども、一つのコンクールにかかるエネルギーは一緒だからね。ドライ・ランもなくレッスンも受けず、自分一人でひきこもって準備したんだ。だってコンクールって言ったりしたら周りが驚いちゃうだろ。そんな輝かしい経歴もなかったしね。

僕はもともと室内楽的な人間なんだ。本当にキャフェやバーで弾いて生活ということもあるかもと思っていたんだ。それもそれで立派な職業だよ。僕はヨークシャーの炭鉱町に生まれ育ったからそう言う感覚だった。僕は英国人というよりヨークシャーマンなんだ・・・。

ところがコンクールに行ってみたら、みんな殺気だっていてギラギラ。何で音楽するのにこうなるんだろう?と思った。一人浮いちゃった。コンクールではそういうときに自分のペースを失わず、いつもの自分で通すことがいかに難しい事なのかが、そこでわかった。イーゴル・カーメンツともそこで初めて会ったね。彼も自分のペースを誰にも邪魔させない強さを持っていた。コンクールの時は、ただただ、自分であり続けることを貫くに限るね」

フリスにさらに聞いた「なぜリーズを考えなかったの?」ヨークシャー訛りで「だって誰も勧めてくれなかったから。別世界のことだと思っていた」しかしブゾーニとルビンシュタイン後のフリスは、通の間ではヘビーウェイトのモルト・シリオーゾ・ピアニストとして知られ、幾度もウィグモアホールに招かれるのみならず室内楽奏者としても名が知られるようになり、シフのフェスティバルでも演奏するなど、息の長い演奏活動を開始することとなったのである。

■6/19水 すみだトリフォニーホール小ホール
ベンジャミン・フリスの東京リサイタルの模様はNHKがテレビ収録いたします!ご期待下さい!
https://mcsya.org/concerts/2019-19-june-benjamin-frith/

・・・・これを書きながら今回見事チャイコフスキー国際の予備審査を突破した2人のピアニスト、MCSと関わりの深い2名、すなわちアンドレイ・ググニンとフィリップ・コパチェフスキーの事を考えてみた。

フリスに似ているのはどちらかと言うとコパチェフスキー(年齢制限ギリギリではないが)、ググニンはナターリヤ・トゥルーリだろうか。しかし、コンクール参加時点のトゥルーリに比べコンクール歴もそうだしキャリアはもっと積んでいる。なのにググニンがここまでチャイコフスキー国際に参加したいと熱望するということは、ロシア人ピアニストにとってのチャイコフスキー国際のウェイトは我々の想像以上に大きいのだろう。

コンクールと言うひとつの「場」に集まって離合集散を繰り返せる限られた期間の中でキャリアを求めて頑張るそれぞれのピアニストたちの思い入れをみたような気がする。

それゆけググニン&頑張れコパチェフスキー!