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アルゲリッチとフレイレがショパン国際コンクールの審査員を辞退

アルゲリッチとフレイレといえば同じ南米出身で(アルゼンチンとブラジル)、長きにわたるピアノ・デュオでの演奏でもよく知られております。フレイレは76歳、アルゲリッチは80歳。

ふたりとも今年のショパン国際コンクールの審査員をするはずだったのが、フレイレが病気で審査員を辞退。そしてアルゲリッチは「ネルソン・フレイレとの永遠の友情で結ばれており、この困難な時期に一緒にいることを決めました」(ショパン国際コンクールの公式)とあり、おおおお、とおののく。二人の代わりにアルトゥール・モレイラ=リマが審査員に加わる(審査員総数は18名から17名に変更)。

https://chopin2020.pl/en/news/article/74/arthur-moreira-lima-will-replace-nelson-freire-and-martha-argerich-in-the-jury-of-the-competition

アルゲリッチは若い頃キャンセル魔として名を馳せた時期もあっただけに、アルゲリッチは簡単にキャンセルするというイメージもいまだに先行するかも知れませんが、意外とキャンセルしない。なので「永遠の友情で結ばれている」とか「困難な時期」などと書いてあると、かなり状況がシリアスなんかとつい悪い方に想像してしまう。杞憂に終わるとよいのですが。私の記憶が確かならパリの二人のおうちは隣り合う建物なので、自宅で療養しているのであれば毎日お見舞いに行くことが可能。無事の回復を東京より願っております。

フレイレの愉快な話は夫婦でデュオ活動するピアニストのYさんから聞いたことがあって、とても好きな話なのでここにまた開陳したい。以下の話はショパンの練習曲を学んだ人なら本当に大爆笑できる、素晴らしいエピソード。

今は昔。およそ20年ぐらい前のことじゃった・・・・・パリでネルソン・フレイレのリサイタルがござった。ショパンの練習曲集全曲だったか、作品10全12曲だったかは忘れましたが、とにかく1曲目つまり作品10-1をつつがなく演奏し終えたフレイレ、しばらく鍵盤の前で考え込んだあと、おもむろに3曲目の《別れの曲》を演奏し始め、そしてそのまま2曲目は最後まで演奏することなくコンサートを終えた・・・・。

うっはー!!この話大好き。フレイレの名前を聞くたび思い出すんですが、いやー、その気持めちゃくちゃわかるわ!!!ってじわじわ来る。10-2弾きたいっていう気持ちにならなかったんだろうな。温厚なお顔でちょっと困惑している様子が浮かぶようだ(皆様方におかれましては普通に同じことをすると怒られるのでお気をつけください)。

10-2はこういう曲。ショパンの練習曲中もっとも難しい曲の一つです。せっかくなんで楽譜見ながらどうぞ。セシル・リカド↓

なお、俺たちのチェルニー大先生も《60番練習曲》の19番で同じテクニックの練習曲を書いているんはご存知ですか(途中からちょっと変化するけど)。

チェルニーの方の楽譜付きの演奏はこれ↓

に、似ている!

ショパンの作品10が出版されたのは1833年パリとライプツィヒとロンドン、チェルニー60番練習曲は1837年ウィーンとパリで出版、ということからも分かる通り、チェルニーがショパンの練習曲を見てどっひゃー!と思って(思ったかどうかわからないけど)真似たわけです。当時は今みたいにすぐに楽譜が手に入るわけじゃないので、ウィーンのチェルニーがいつこの曲の存在を知ったかというのが気になるところ。いやはやショパンのインパクトのすさまじさよ。