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元メトロポリタン歌劇場のコンサートマスターが死去

1931年うまれのレイモンド・グニーウェクさんがニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のコンサートマスターに就任したのは1957年のことで、史上最年少記録だったそうです。ミトロプーロス時代ね。引退公演は2000年、カーネギーホールでのバルトーク《青ひげ》コンサート形式。

25歳で世界トップ歌劇場のコンサートマスターになるというのはどういう気分だったのだろうか、そしてどういう人生だったのでしょう。43年近くコンサートマスターを務めたということは、それはもう、常人には想像すらつかぬ厳しいストレスを生き抜いたということになりましょう。

ただ単に上手に演奏すればいいかというとそれだけではダメで、様々な役割がある。そしてオペラハウスでは様々なトラブルが日々起こるので、そういったものを現場でうまく回避していかなければならないのであります。

たとえばここ、メトロポリタン歌劇場アーカイヴを見たってください。

http://archives.metoperafamily.org/archives/frame.htm

[・・・・っていうかこの段落は余談ですが、この↑アーカイヴサイト、いま見つけたけどすごいっすね。URL見る感じメトロポリタン歌劇場の公式アーカイヴかどうかいまいちよくわからないけど、メトロポリタン歌劇場のサイトから直接リンクが貼られている。しかもむちゃくちゃ20世紀感あふれるサイトで、これHTML手打ちかと思うほど。とにかく公式からの落差がものすごい。でもって公演中のイレギュラーな出来事も書かれていたりして、関係者もしくは実際に行った人が書いてるんであろうこともわかる。余談終わり]

1958年12月22日の上演では、指揮者が途中で病気になったため、グニーウェクさんともうひとりで第3幕を代わりに指揮したということが書かれております。きっつー(なお指揮者は4幕で復帰したとも)。さらにはその指揮者ファウスト・クレヴァが1971年8月6日に亡くなり、その追悼のため9月24日の《カヴァレリア・ルスティカーナ》と《パリアッチ》公演では上演前にマノン・レスコーの間奏曲を指揮した、とある(指揮者なしで演奏したということかも)。

マノン・レスコーの間奏曲とか追悼で演奏されたら涙も止まらなくなるわ。

今度は彼が追悼される側に。人生はお別れの連続。

https://www.thestrad.com/news/violinist-raymond-gniewek-has-died-aged-89/13747.article

オーケストラの追悼の言葉「親切で、謙虚で、ウィットに富み、私達オーケストラの一員として皆に愛されていた」

引退したプリンシパル・アソシエートコンサートマスター、ローラ・ハミルトンのコメント「幸運なことに私は数え切れいないほどの時間、彼の隣に座り、豊富な経験から恩恵を受け、主要なレパートリーの全てを学ぶことができた・・・・・。伝説的なまでのスタミナ、仕事に対する熱情があったが、オフシーズンにはとてもリラックスして様々なことに興味を持っていた。」