ピアノのお勉強がなかなかデジタル化しない理由の一つに「鉛筆での書き込みの気持ちよさ」というものがあると思うんですよね。老害や!老害や!とか言われてもいいんです。鉛筆で紙に描き込むという行為は人間の原罪・・・ではなく人間の証明、むしろ存在価値そのものなんや!!
興奮すんな、まあ落ち着けって。
書き込みってすごく楽しいし、後から眺めるとまた楽しいですよね。1粒で2度美味しい。「あのときこういうこと考えてたな」「間違ってんな」「若いな」とかいろいろ思うことがあると思うんです。なんとなれば、恥ずかしすぎて楽譜をぶん投げた末にギャー!と叫びたくなるような書き込みもありますよね。自分の例で言えばショパンの子守唄とか。絶対誰にも見せない。
で、シューベルト弾きとして知られた伝説的名ピアニストのクリフォード・カーゾンが書き込みしたシューベルト《楽興の時第3番》の楽譜っていうのが上の画像です。このサイトから拝借いたしました。
https://crosseyedpianist.com/2016/11/21/the-writings-on-the-score/
まじすごいな。もはや一部の音符が読めない。何を考えてこういう書き込みをしていたのか、とても気になるところ。本人をとっ捕まえて「これはなぜ?どうして?」って尋ねてみたい(もちろんカーゾンは40年近く前にお亡くなりになっているので、聞いてみることが出来ない)。
あと、そもそもなんですが、これが本当にカーゾンの楽譜かどうかはわからないのであります。カーゾンの楽譜として紹介されているのだからそうだろうと勝手に推測しているんですけど、裏が取れないので大嘘を書いている可能性もあることはお許しください。
しかしこんなに勉強してもらって、シューベルト太郎も作曲家冥利に尽きるというやつだと思いますね。
ちなみにもともとの楽譜はこれです↓
改めて見比べると、すごい勉強量だなあ。しかしこの文章を目にしている皆様にお願いしておきたいことが一つだけあります。書き込みをたくさんしたからといって上手に弾けるわけではありません。繰り返します。書き込みをたくさんしたからといって、上手に弾けるわけではありません。めっちゃ大事なんでもう一回だけ書きますね。
書き込みをたくさんしたからといって、上手に弾けるわけではありません。
書き込みは結果であって目的ではありません。日本人は「形から入る」のが好きで「創造力の欠如」に陥ることがしばしばある。そのようなことがないよう、お気をつけいただきたい。
ご理解を頂けましたら、最後にカーゾン先生の実際の楽興の時第3番の演奏をご覧ください:
すげえ!書き込みの通りや!・・・・かどうかは自分の耳で確かめろ!!