昨日皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか。
わたくしは昨日の午後は、都内のホールでミーティングをした後、いやむしろほぼ一方的に私が喋りまくるというあまり褒められたものではないミーティングをしたのち、英国の音楽事務所の人とミーティングしました。日本に一週間滞在して22件ミーティングするんだと言っていて、いやはやそれもまた大変だなと思いました。
それにしてもお部屋が寒くなって来ました。私の仕事部屋には大きめのCD+本棚があるのですが、ふと見ましたら重みで歪んでいるようだということに気が付きまして、最近いい加減になっていたCDの整理をしてみることにしました。子どもたちがCDを出しては入れて、とかそういう作業をせっせとしてくれた結果、行方知れずになっているCDもありましたからね(基本的に作曲家のタイトル順に並べている)。
作業をしていると、どうしても昔の記憶が蘇ってきます。あーこれを買ったのはあそこで、何年ぐらいで、、、とかそういうのです。もはやCDは私にとって記憶を蘇らせるスイッチになってしまっていて、聴いて楽しむ、という本来の姿を見失ってしまっているようだ。
買ったCDだけでなく、聞いてほしい、ということでサンプル音源をもらうこともたくさんありますし、コンサートで招聘したアーティストから、お土産に、と言ってもらうこともあります。そういうものにも、記憶が結びついています。
棚が重いヨと言っているんだったなと思ったので、サンプル音源について、もういいかな、と思うものを思い切って整理してみることにしました。そうしたら20リットルの袋3杯分になってしまいました。けっこうな量があったんだね・・・。一枚一枚に記憶がくっついているので、自分の思い出が削られるようにも感じたものだよ。(古文風に)
サンプル音源にはさようならしてもらいましたけれど、アーティストから直接もらったものについては、逡巡しましたがさようならできず、そっと棚に戻しました。サインとか入っていたりして、その人の顔と、そのときの状況、記憶がふわふわっとよみがえってくるのです。
不思議な気分ですね。例えば、エヴァ・クピーク(クピエチ)のCD。あーそう言えば名古屋東急ホテルの廊下で二人でしゃがみこんでこのCD数えたな、それは誠に奇妙な光景だっただろう、とかそういう記憶。
こうやって捨てられず棚に戻されたCDはしかし、自分以外にはあまり意味のないもので、仮に自分がこの世を去ったら、処分に困るんだろうな、と、ぼんやり思いました。
人生は有限である。