緊急事態宣言が出た直後ぐらいに冗談で「おうちにいて下さい」のチラシ風を作りました。そこの中に【かつてない規模の娯楽】と題して、こういう長い作品でも聞いたらええんちゃう?っていう作品を適当にぱらぱらっと並べたんですが、そのうちの一つを、メジャーピアニストが採り上げるとは思っていませんでした。
スターピアニストのイゴール・レヴィット、サティ「ヴェクサシオン」を30日土曜から31日日曜にかけライブ中継すると表明。1ページ、繰り返し840回の作品。約20時間。
・・・・トイレ行きたくなったらどうすんの。
うちの3歳半の次男はパパトイレ!って2、3時間おきに言いに来ますね。きみがんばってもうちょっと我慢できるようにならんのか。夜中1回も行かないし失敗もなくなったやんか!「でもトイレ」・・・承知いたしました。
音楽家たちはいま聴衆を前にして演奏することができず、そろりそろりと再開へ向けた動きも出始めていますけれど、まだまだトンネルの先は長そうです。欧米の場合は死者の数も、ピークを超えたかとは言われていますがアジアとは文字通り桁数が違う。再開への動きはまだまだ鈍い。
そんななか、昨夜この発表を目にしまして、まさかイゴール・レヴィットみたいなメジャーな場で活躍するピアニストがこれをやるのか、と、軽く衝撃を受け、そっとスマホを置き、子どもたちの寝顔を見てくすっと笑ってから布団に入りました。朝起きてパソコンの前に向かい、もう一回本人のコメントを読んでいるうち、やっぱり不思議な気持ちになりました。
本人は大真面目だ。
‘It has always been a strong wish of mine to be able to perform Erik Satie’s Vexations,’ Levit said. ‘While written in the 19th century, this piece was revolutionary thanks to its atonal harmony. The few notes – a theme and two variations – fit on just one sheet. The 840 repetitions herald early on a future of aesthetic repetitiveness. The sheer duration of over 20 hours of Vexations doesn’t feel like a “nuisance” to me, as the title would suggest, but rather a retreat into silence and humility. It reflects a feeling of resistance. That’s why it feels right to play the Vexations right now. My world and that of my colleagues has been a different one for many weeks now and will probably remain so for a long time. Vexations represents for me a silent scream.’
「エリック・サティのヴェクサシオンを弾くことは長い間の強い願いでした。19世紀に書かれていますが、無調的な響きは非常に革新的です。ほんの少しの音符、テーマと2つの変奏で構成されており、わずか1ページに収まっています。840回繰り返すというのは、未来の美学的繰り返しを早い段階で予兆するものです。20時間のヴェクサシオンは私にとって全く不快ではありません。表題が暗示するように、静寂や謙虚さへの避難所であり、レジスタンスの雰囲気を内包しています。ヴェクサシオンをまさにいま演奏する意味がここにあります。私の世界、私の友人たちの世界はこの数週間以上にわたってこれまでと違ったものになっており、おそらくそれはこれからも長く続くだろう。ヴェクサシオンは私にとって静かな叫びの声なのです。」 ―イゴール・レヴィット。
https://www.pianistmagazine.com/news/pianist-igor-levit-to-give-20-hour-live-streamed-performance-of-satie/
ヴェクサシオンを知らないという方はまあとりあえずYouTubeで一通り聴いてみてください。1ページしかない楽曲を840回繰り返しなさい、っていう、作曲したサティ本人が冗談とか思いつきで書いたに違いない、コンセプチュアル・アート的な作品です。ジョン・ケージの「4分33秒」とか、デュシャンの「泉」みたいなね。作品自体はやばいやつだけど、裏に流れているコンセプトを読んでよ、っていうような、思いつきがすごい!みたいな。
私はこういうのは面白いものじゃなくて音楽史で学ぶだけのもの、と理解しているんですけれど、大好き!という方もおられるでしょうし、肯定派と否定派との間で議論がおこることも作曲者の意図、みたいな感じかなと思います(大体の人は否定派かそもそも興味ない。だけど肯定する人は必死に肯定するっていう、なんかカルトみたいな構図って言ったら乱暴か)。とりあえずコンサートのアンコールで弾かれたくない曲ナンバーワンです。
自分がホールの担当者で、ピアニストがアンコールでこの曲弾き始めたら顔が引きつる。待てきみ繰り返しどうするつもりや。まあ穏当に行けば、繰り返しはなしで、とか、適当に数回で終わるやろ、ってことになると思いますけど、繰り返されるたび焦りは募りますね。はよやめんか。・・・止まらなそうだったらどっかの段階でやっぱり出ていって、止めてもらう、ということにきっとなります。そしてそういう状況を待ち構えていた一部聴衆からヤジや怒号が飛び、殴り合い、罵り合いに発展・・・んなこたあ起こらないか。
どうしてレヴィットがいまあえて20時間もかけて真面目に演奏するのか。どういう意味があるのか考えてみると、本人も難しい言葉で語っていますが、根底には「ひまですることがない」っていうのがあるような気がして、トップアーティストと呼ばれる人たちもなかなかつらいのだろうなと思いました。
レヴィットのライヴ中継は30日土曜日スタートです。以下URLあたりで見られるようでございます。
インスタグラム、ツイッター: @igorpianist
Der Spiegel
The New Yorker
こんな曲よりもソラブジ弾けよ、っていうのもレブレヒトのブログのコメント欄にはあり、全くそのとおりだな、と。
やれやれ(いまさらながら村上春樹風に)。