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練馬のショパン展へ行ってきた話。

練馬区立美術館で開催されていた「ショパン200年の肖像展」に昨日、つまり最終日に行ってきました。混んでるから怖いよ、という声もあり、東京は諦めて8月からの静岡の方に行こうかな、とも思っていたのですが、最終日の朝は雨。開場時間よりもちょっと前に着いたら大丈夫ちゃうか、という私の目論見レーダーは当たり、9時56分に美術館前に到着した時に並んでいたのは20人ぐらいという状態だったのでラッキー。

速やかに中に入り、1時間ほどかけて全部を観まして、速やかに帰ってまいりました。空いていましたし快適に鑑賞が出来ました。それにしても私の自宅から美術館最寄りの西武池袋線・中村橋駅まではなかなか遠く、何度も乗り換えが必要だったよ。1時間半ぐらいかかった。初めて行った練馬区立美術館は遠かったと申し上げる。

国境の長いトンネルを抜けると練馬だった。大根が美味しかった。

ショパン好きならとりあえず行っとけ、そういう言葉がふさわしいようにも思います。ショパンコンクールのポスターとかメダルとか、ふ~んふ~んふ~んの「3ふ~ん」(大満足)でしたよね。

24の前奏曲にあわせて書かれた絵画とか、最初の方にある現代の作家による絵画とか、漫画ゾーンとかもあって、個人的にはこのへんは「1ふ~ん」(満足)ぐらいでしたが、この当たりに感動された方もたくさんおられることと思います。

いや、見どころとかそういうのは展示会の公式ウェブサイトにも記載がありますし、個人によって受け取り方とかは変わってくるものなので、私ごときが何かを言う必要はないかなと思いますけれど、私的ぶっちぎり大興ふ~ん(「1810ふ~ん」から「1849ふ~ん」程度か)な展示があったのでご紹介しましょう。なお写真はないのでご容赦下さい。写真が見たい方は公式に行ってみて下さい。

それは・・・・

●第一位:中国風?の呼び鈴
これはやばかったと断言いたします。こういう呼び鈴を使っていたという事実。すいません不勉強で知りませんでした。体調の良くないときとかに誰かヘルプミー的な感じで使っていたそうです。ショパンの趣味はよかった、ということは本で読んで知っていますが、こういうのを東洋趣味っていうのでしょうか、これにはぐっと来ました。周りに人がいないのを幸い、まじまじといろんな角度から眺めてしまったし、鳴らしたかった度200%。 

●第二位:10-8の自筆譜
10-8っていう暗号だけでこれを読んでおられるだいたいのみなさんにご理解いただけている事を確信しています。これは10マイナス8でも10ハイフン8でもなく、「じゅうのはち」って読んで下さい。ショパンの作品番号の事を指していて、練習曲第8番ヘ長調作品10-8のことです。

この自筆譜はね、メガネを外してまじまじと眺めてしまった。独特の美しさがありますね。匂い立つような、と申しましょうか、胸中に明るい炎が灯ったと申しましょうか、いろいろと受け取る側のこちらにイマジネーションが湧いてくるようでじんわりといたしました。

私が桐朋の入試に落ちた年の課題曲の一つがこれだったんですよ。もう毎日めちゃめちゃ練習したからな。最後の4つの和音が大好きだったんですよ。翌年合格することになった時は「エオリアンハープ」と「六度」でしたが、エオリアンハープのクライマックスの右手のあの跳躍で音を外したことは、今となってはいい思い出なのだ・・・・・。最近残念ながら鬼籍に入られた私の恩師池口純子先生に入試の演奏後、公衆電話でその報告をしたら、恨めしげな声で「え~っ!(音を)外したぁ~?」と言われたのは昨日のことのように、口調とともにリアルに思い出せます。

なお自筆譜は細かく、メガネを外した方がよく見える歳に突入してきている事に軽く衝撃を受けたことも併記しておきたい。私はショパンよりはるかずっと無駄に齢を重ねてきてしまっているのだ。

私が初めて買ったショパンのCDはアシュケナージの練習曲集27曲でした。これね↓

●第三位:1960年ショパンコンクールの公式パンフ
誰の持ち物かはわかりませんけれど、1960年の公式パンフレットはポリーニのページが開けられていて、そのページには当時18歳もしくは17歳のポリーニの写真があって、その下には何やら書き込みがある(もちろん読めない)。この若々しい写真と、今やかつての完璧さが99.998%減衰したミラノの仙人ポリーニ師との間に横たわっている長旅を思うと感慨深い。この写真にまたしてもイマジネーションのビームがビビビと出たのであった。

というわけで気持ちの良い1000円が使えたと満足して、また乗り換え乗り換え、1時間以上をかけてお家に帰ったのでした。

国境の長いトンネルを・・・・・(以下略)。