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バッハの時代にスポティファイがあったなら

今日はワルター・バリリがお亡くなりになったというニュースもございましたけれど(ご冥福をお祈りいたします。しかし100歳まで生きたとは本当に大往生、人生を生ききったと言えるのではないでしょう。お疲れさまでした)、バッハやベートーヴェンやショパンがスポティファイでどんだけ稼げたか、という話題がのぼってまいりましたので、そちらに反応することといたしました。

スポティファイの収益分配の仕組みは私はいまいち理解しておりませんのと、著作権というものの複雑怪奇さについても理解が及んでおりませんので、深く考えたり突き詰めていったりするといろいろと齟齬が生じたりもするのでしょうけれど、とりあえずこまけえことは抜きにして、ほーへー言って好奇心を満たしていただければよいのかなと思います。

で、計算してみたというのはドイツのライプツィヒ観光協会っていうの?(いわゆる公的な機関なのかな?)のサイト。

https://www.leipzig.travel/en/culture/music/

https://www.diapasonmag.fr/a-la-une/le-beau-pactole-de-bach-23073-23073.html

「バッハの時代にスポティファイがあったらバッハの収入はどれほどになったのか」という、かなり強引な設問ですが、「歴代作曲家ギャラ比べ」もなかなか無茶ぶりをしているので、深く追求はしますまい。

なんとですよ、この調査の時、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番の前奏曲は、スポティファイで1億6000万回ぐらい聴かれていたそうです(クラシック音楽でどうやらもっとも聴かれている?)。スポティファイ側は権利者に対して再生回数1回につき0.0037ドルを支払っているようなので(この考え方は若干間違っているように感じますが、まあとりあえずこの金額だとして)、これは60万ドル(約7000万円)ぐらいに相当する、と。

で、この60万ドルを当時の金額に直してみると、バッハはこの曲1曲だけで2500万ドル(29億円)を稼いでいた計算になるのだ、というのであります。現代の1ドルを当時の41.6ドルとして計算しているようだ(つまり1ドルは当時およそ4500円の価値があったと換算している)。ふむふむ。

バッハはずっと生前ピーピーいってたわけですが(生涯を通じての給料の低さには目を見張るものがある)、スポティファイに乗って全世界で聴かれていたら、ゴーユー出来たに違いないのだ。カールスバードへの温泉旅行も馬車に乗って毎月行けただろうし、ヘンデルに会いにロンドンにだって余裕で行けた。なんとなればスペインのドメニコ・スカルラッティにだって会いに行ける。妻に反対されたかもしれないがライプツィヒのカントールなんて割に合わない仕事は「やめてやらあ!」って啖呵を切って速攻やめて、博徒にでもなったかもしれない。ビールもワインも飲みたいだけ飲める!なんならイーロン・マスクのスペースXにも乗れたかも・・・さすがにそれは足りないか(スペースXの乗車賃は現在のレートで一人約64億円)。

夢があるええ話や・・・。いや、そもそもバッハの時代には・・・(以下略)。